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(う、ぁ……黒羽と……キス、しちまった……) 聞こえてしまうんじゃないかと思うほど大きな鼓動をよそに、表面上は平静を 装ってインターホンをとる。 「はい……って、蘭?」 モニターに映っていた顔に、新一は驚いた。 『新一、ちょっと話があるんだけど』 そう言う蘭の声は少し緊張気味だった。あまり良い話ではなさそうだ。 だが今この家には快斗がいるのだ。よりによって、黒燕ではないかと疑ってい る快斗が。 新一が『レッドブロッサム』の総長と知り合いだとバレるのは痛い。 『新一』 「えっと……」 本音を言うと家に入れたくないのだが、この様子からすると、断ったら後で鉄 拳をお見舞いされそうだ。 「……わかった。ちょっと待ってろ」 快斗が書斎から出てこないのを確認して、新一はできるだけ静かに外へ出た。 門を開けてやり蘭を敷地内に入れると、進もうとする蘭に新一はストップをか けた。 「待て、蘭。悪いんだが話は外でいいか? 実は今、人が来てるんだ」 「新一の友達?」 蘭が意外そうに問う。 「ああ、まあ……」 「もしかして、前に言ってた人?」 「まあな」 「へぇ、新一が家に友達を呼ぶなんてね」 蘭が少し嬉しそうに言う。だがすぐに顔を引き締め、声のトーンを落とした。 「でもそれなら、外の方がいいわね」 「何かあったのか?」 幸い、書斎から門側を覗くことはできない。 「実は、紅子ちゃんから情報が入ったの。何か不穏な動きがあるって」 「……どこのチームだ?」 新一も僅かに眉を顰める。すると、蘭は少し困ったような顔をした。 「それが……まだ特定できてないの。でも、ちょうどその頃、真純ちゃんから 『浪花』の中でも何か企んでる人がいそうだって話を聞いて。内密に諜報部隊 を動かして内部調査する予定らしいわ。黒猫の名前も出てるらしいから、近々 何かしかけてくるかも」 「……そうか」 「気をつけてよ、新一」 蘭が心配そうに言う。 「何かあったら、すぐに連絡して」 それは幼馴染を心配する顔でありながら、レディースチームを率いる総長とし ての強い意志を秘めた顔でもあった。 新一に何かあったら、『レッドブロッサム』として動く覚悟があるという意味 だろう。 新一は頷き、礼を言いながらも、心の中で謝った。 もしそれが『浪花』との対立を齎すのなら、『浪花』との関係が深い彼女たち にそんな真似はさせられない。 もともと、族潰しを始めたのは新一の方なのだ。彼女たちを巻き込むわけには いかなかった。 その時、背後で玄関の扉が開く音がした。 「工藤……?」 扉の隙間から半身を覗かせてこっちを窺う快斗に、新一はギクッと肩を揺らし た。 「あ、黒羽……」 「遅いからどうしたのかと……って、えっ……」 新一の肩越しに見えたであろう人物に、快斗が目を見開く。 咄嗟に蘭を隠すように立とうと踏み出した足は間に合わなかった。 「……黒羽、悪い、すぐ戻るから」 新一の緊張を孕んだ視線に、快斗はぎこちなく頷いて身体を中へと引っ込めた。 「はあ………」 『レッドブロッサム』の総長と知り合いだなんて、後で何と言い訳しようかと 溜息を吐いていると、背後から蘭に呼びかけられた。 「新一」 その声が少し硬い気がして、新一は振り返った。 すると、蘭がさっき以上に顔を強張らせていた。 「どうしたんだ、蘭?」 促すと、少し躊躇ってから、蘭が口を開く。 「今の人、私知ってる……」 「え?」 「2週間くらい前だったかな? 朝練があって、早朝に家を出たのよ。ランニ ングも兼ねて、その日はちょっと遠回りして学校に行ったの」 6時半くらいだったかな、と蘭は思い出すように視線を巡らせた。 「児童公園で服部君と今の――黒羽君が話してるのを見かけたの」 遠目だったけど間違いないわ、と言い切った蘭に、新一は目を細めた。 正確な日付を思い出してもらうと、それが2人でゲームセンターに行った日の 翌日だとわかった。言い換えれば、初めて服部平次が新一に接触してきた直後 だ。 そんなタイミングで、服部と快斗が、人目を憚るように会っていた。 「でも、2人は幼馴染らしいからな……」 ぼそりと呟いた言い訳めいた言葉に、蘭は納得いかないような顔をした。 「でも、2人ともすごく怖い顔してたよ? 特に黒羽君は。何か揉めてるみた いだった」 暗に、快斗がチームに関係している人間なのではと疑っているのだろう。蘭は そういう空気に鋭い。伊達に東京最大のレディースチームを率いていない。 「……大丈夫だ」 「でも……」 不安げな蘭に苦笑すると、蘭は口を噤んだ。何を言っても無駄だとわかったの だ。 「じゃあ、私行くね」 「おう。見られねぇように気をつけろよ。……そういえば、何で今日いきなり 来たんだ? いつもみたいに電話でも良かったんじゃ……」 今更な疑問を口にすると、途端に蘭の眦がつり上がった。やばい、と思っても 遅すぎる。 「したわよ! 電話もメールも! なのに新一が全然出ない上に返事も寄こさ ないからっ、心配して見に来たの!!」 「う、ぇと……」 「志保ちゃんは今日生徒会の会議で帰り遅くなるって言ってたし、もしもうど こかのチームに襲われてたらって思ったら……」 「……悪かった」 マナーモードにしてずっと鞄の奥底にしまっていたから、気づかなかった。 それは、認めるのは少し照れるが、快斗との時間を誰にも邪魔されたくないと 思っての行動だった。 「……じゃあ、黒羽君あんまり待たせるのも悪いし」 蘭はまだ不安げな色を残しながらも帰っていった。 *** 工藤新一と毛利蘭が繋がった。 新たな事実に、快斗は唾を呑みこんだ。 あの様子からして、毛利蘭の訪問は想定外の事態だったのだろう。 ココアを飲みながら思考を整理していると、しばらくして書斎のドアが開いた。 「待たせて悪い」 「いえいえ。もういいのか?」 「ああ」 新一が近寄ってきてコーヒーのカップを手にした。その足取りに不自然な警戒 は感じられない。 「ええっと……今の子って確か、『レッドブロッサム』の総長さん、だよな? 何、工藤知り合いだったのか?」 興味深々といったふうに尋ねると、新一は少し困ったように笑った。 「まあ……実は幼馴染なんだよ」 「えっ」 「オメーも服部と幼馴染だってこと周りに隠してるだろ? 俺も同じ。とばっ ちりにあいたくねー」 「ああ、なるほど……」 「だからこのことは黙っといてくれると助かる」 大きく頷いた快斗に、新一はサンキュ、と言って笑った。 けれど何だか、胸のあたりがすっきりしない。 「……ただの、幼馴染なんだよな」 それはついぽろっと出てしまった一言で、言ってしまってから快斗はヒヤッと した。これではまるで、彼女にみっともなく妬いているみたいではないか。 「あ、えっと……」 言い繕おうとしている快斗に、新一はきょとんとし、そしてクスクス笑う。 「ああ、ただの幼馴染だよ」 その時の新一の笑顔があまりに綺麗で、快斗は言葉をなくした。 でもまだつき合ってるわけじゃないんですよねー…… 2012/12/26 |