(28)





















工藤新一は本好きの可能性あり、と。

またしても黒猫との共通点を見つけてしまい、快斗は内心複雑だった。
黒猫の正体が工藤新一なら、快斗の厄介な恋心にも納得がいくし、そうであって
ほしいという願望もある。
だが黒猫と勝負の最中だということを考えると、敵が片想いの相手だなんて複雑
な事態は避けたい。

もっとも、最近は二人して読書に勤しんでいるだけのような気もしなくもないが。

いや、黒猫のことだ、こちらが油断したところに何か仕掛けてくるかもしれない。

ぐるぐると考えているうちに、第二図書室の前に辿りついていた。
さっと周りを見回してから、するりと滑り込む。

「よっ」
「んー」

すでにソファで寛いでいた黒猫が気のない返事をする。

すっかり慣れたようにカフェオレをつくろうとして、ふと見慣れないものに気が
ついた。
コーヒーメーカーの隣に置かれた、マグカップ。

振り返って黒猫の前のテーブルを見ると、そこには似たデザインのマグカップが
ある。

じっと注がれる快斗の視線に気づかないわけでもないだろうに、黒猫は顔を上げ
ない。

「……あの、猫さん?」
「……何だよツバメ君」

ようやくちらっとだけ顔を上げるが、すぐにまた視線を本に戻してしまう。
だがよく見たら、フードの下から見える口元は引き結ばれていて、頬のあたりが
少し赤い気がする。

「……このカップ」
「好きに使えよ。いつまでも紙コップじゃ味気ないだろ」

黒猫がぶっきらぼうに言い放つ。

うわぁ、と快斗は顔を覆いたくなった。
だが何とかコーヒーメーカーに向き直ることで黒猫に背を向けるにとどめる。
心臓が跳ねて、もう何本スティックシュガーを入れたかもわからなくなった。

マグカップをもう一度よく見てみると、黒い鳥のシルエットが優美な曲線で描か
れている。洗練されたシンプルなデザインに、センスの良さが表れている。

肩越しに黒猫の使っているマグカップを盗み見る。
同じデザインで、シルエットだけが鳥ではなく猫になっている。

快斗はまた頬が紅潮してきそうで、慌てて前を向いた。

明らかにおそろいのマグカップだ。この様子ではプレゼントということなのだろ
う。しかも絵柄を見るに、彼が自分のために選んでくれたもの。

黒猫でも照れたりするのか、とさきほどの反応を思い出しては、速くなった鼓動
を落ち着かせようとこっそり深呼吸をした。



「あ、そういえば」

唐突に黒猫が顔を上げて、思い出したように言った。

「何?」

ごそごそとポケットを探している。その様子を観察していると、不意に何かを放
られて、目の前に飛んできたそれを慌ててキャッチする。

硬くて冷たい、銀色のそれは――

「ここの合鍵。お前にも一応渡しとく」
「は………」

頭がついていかなかった。
何だってこの部屋の占有権をもぎ取った黒猫が、その合鍵を、敵であるはずの黒
燕に渡すのか。

固まる快斗をよそに、黒猫が言う。

「俺も毎日ここにくるとは限らねぇし」
「いや、つーか……」

ここに来るのはアンタが目当てなんですが、と言おうとしたが、上手く言葉にな
らなかった。
黒猫に合鍵を渡されたということの衝撃に、思考を乗っ取られる。

「……いいの? これ、悪用しちゃうかもよ?」

何とか皮肉な笑みを浮かべて言うと、黒猫は不機嫌そうな声色で言った。

「試すようなこと言うんじゃねぇ。オメーだって、この場所嫌いじゃないんだろ?
だったら大人しく共犯になりやがれ」
「敵に共犯になれってか」

快斗はじっと手の中の鍵を見つめてから、降参するように両手を上げた。

「わかったわかった。ここの秘密は守ってやりますよっと」

鍵をポケットにしまいながら、快斗はハットの影で眉を寄せた。
本当に困る。こんなふうな態度を取られたら、敵であることを忘れてしまう。

               

                 ***



「黒羽」

SHRが始まる前に、新一に話しかけられた。

「何?」
「今日の放課後、空いてるか?」
「え? 何で?」

すぐには答えない。
今日も第二図書室に行こうと思っていたのだ。

「俺ん家来たいって言ってただろ?」
「ああ。今日いいのか?」
「都合が悪ければ別の日でも……」
「いや! 行く!」

勢いよく答えた快斗に、新一がくすくす笑った。

「何でそんな張りきってんだよ。この間も来たじゃねーか」
「まあ、でもこの間は俺が押し掛けたようなもんだし」

押し掛けるのと招かれるのとではだいぶ違う。

ふと、新一が首を傾げた。

「そういえばオメー、どうして俺の住所知ってたんだ?」
「ああ。高木先生に頼んで名簿をちらっと……」

若干声を潜めて言うと、新一は呆れたような顔をした。まあ、嘘なのだが。

「オメーな、高木先生をあんまりこき使うなよ」
「人聞き悪いな。それに恋の成就に協力してあげてんだからおあいこだぜ」

快斗がケケと笑ったのに被せて鐘が鳴った。






「あがれよ」

前回とは違った緊張感に包まれながら、快斗は新一の後に続いて工藤邸に足を踏
み入れた。

廊下を抜けてとりあえずリビングへと通される。
前回は新一の部屋に直接向かったため、リビングを見るのは初めてだ。派手さは
ないながら一目で上質とわかる調度品の数々に、さすがはお坊ちゃん、と改めて
認識する。
そして一介の男子高校生がその中にいてまったく不自然さを感じさせないという
のだから、プリンスというあだ名はあながち外れていなかったのかもしれない。

「へぇ〜。こんな家にいて違和感ないのって白馬くらいかと思ってたぜ」

これだけを見ていたら、ゲームセンターで不良を蹴り飛ばすような高校生が住ん
でいるとは思えない。

「白馬と一緒にすんな。あんな生活、考えるだけで肩凝りそうだ」

それに俺はコーヒー党だ、と変なところで異を唱える新一に快斗は苦笑した。

「どうする? 書斎行くか?」

ソファーと机もあるから、そっちに飲物持っていってもいいし、という新一の提
案にのって、2人はひとまずリビングを後にした。


書斎の扉を開けるなり飛び込んできた光景に、快斗は目を見開いた。

「へぇ! すげぇな。噂以上だ……」

吹き抜けになった高い天井。壁一面が本で埋まっていた。
一歩踏み入れると、毛足の長い絨毯が足をそっと包む。病みつきになりそうな感
触だった。

「ほとんど父さんのコレクションだ。じゃあ、俺ちょっと飲み物持ってくるから、
適当に寛いでろよ。あ、目録はそっちの棚の一番下にあるから……」

一人になると、快斗はざっと本棚を見渡した。
正直それほど読書が好きなわけでもないのだが、それにしてもこれだけ雰囲気の
ある中で本に囲まれるというのは悪くない。

静寂が心地よかった。


「……あれ、この本………」

不意に目に止まった本を、そっと引き出す。手入れが行き届いているのか、埃っ
ぽさはなかった。

「やっぱりそうだ……」

『舞台の上の悲劇と喜劇』

第二図書室で黒猫に勧められた、17世紀にイギリスで活躍した舞台俳優の手記だ。

黒猫は以前読んだことのある本だと言っていた。
この本が工藤邸の書斎にあったことは、偶然だろうか。

快斗は衝動のままに、一番下の段から目録を取り出した。
蔵書の数が数なだけに、目録の重さも半端ではない。苦労して引き抜き、近くの
書きもの机の上で開いた。

50音順に整理されたファイルの中から、これまでに黒猫に勧められた本のタイト
ルを探した。

「あった……これも……」

目録に記されたそのタイトルに快斗はどう反応したら良いのかわからなくて、一
瞬ぼんやりした。

その時、突然書斎のドアが些か乱暴にノックされて、快斗は我に返った。

「おーい、黒羽ぁ。ちょっとドア開けてくれ。両手が塞がってんだ」

どうやら足で扉を蹴ったらしい。
快斗は慌ててドアに駆け寄ろうとして、ハッと立ち止まる。咄嗟にさっき引き出
した本を棚に戻し、目録のページを適当に捲ってから、再度ドアを開けに行った。

ドアを開けてやると、大きめの盆を持った新一が立っていた。
そしてカップから漂ってきた匂いに、目を瞬く。

「ココアでよかったか?」
「え、ああ……っていうかココアなんてあったのか」

新一が甘いものを好まないのは知っている。そんな新一が一人で暮らしている家
にココアが用意されているのは意外だった。

もしかして、度々訪れるという宮野志保の嗜好だろうかと思いいたって、胸のあ
たりがもやもやする。

すると、新一が目を逸らしてぼそぼそと言った。

「いや、オメーが来るっていうから……コーヒー苦手なの知ってるし……」
「え………」

目を見開いて新一を凝視する。
そっぽを向いて眉を少し寄せている新一の頬が、心なしか赤い気がした。

それは時間にしてたったの数秒のことだったが、2人が無言で至近距離で固まっ
ているのは奇妙な光景だった。

「工藤……」

その時の快斗は、何かの意思に衝き動かされるように手を伸ばしていた。
両手を盆に塞がれ、背後を扉に塞がれて身動きの取れない新一の頬に、そっと触
れる。

驚いたように視線を戻した新一の目を真っ直ぐに見つめた。
透き通った蒼い瞳に嫌悪は浮かんでいない。ただ少しの驚きを浮かべて、それで
も真っ直ぐに見つめ返してくる。

鼻が触れ合うほどに顔を近づける。
少し顔を傾けると、新一がすっと瞼を下ろした。

触れるだけの、キス。

離れて目を開けると、新一も目を開けるところだった。
その静かな目の中に微かに、強請るような色が見える。自分の目もきっと、隠し
きれない熱を孕んでいるだろう。

互いに何も言わず、もう一度近づく。


と、その時。



リンゴ―ン


唐突に鳴り響いたその音に、2人はハッと我に返った。
共に見開いたその目に、さっきまでの熱はどこにもない。

「――あっ、えと……黒羽これ頼む!」
「お、おう……」

快斗に持っていた盆を押し付けると、新一は慌てて書斎を飛び出していった。

バタン、と些か乱暴に閉められたドアを見つめて、快斗は呆けていた。

「……うわ………」

初めて触れた、柔らかい唇の感触がまだ残っている。
心臓が壊れそうなほどに激しく脈打っていた。























やっと! やっとキスまで来たよこの2人!
でも甘酸っぱいシーンって難しい…


2012/12/22