(24)

















「あ、あのさ、必要なもんとか、ほしいもんとかあったら言ってくれよ。俺なん
かがおこがましいけど、お見舞いっつーより看病するつもりで来たからさ」

快斗が思い出したように言うと、新一はきょとんとしてから、考える素振りをし
た。

「そうだな……じゃあ、黒羽が買ってきてくれたゼリーをもらおうかな」
「おう。あ、忘れてたけどアイスもあるぜ。どうする?」
「いや、ゼリーでいい。アイスはオメーが食えよ」
「え、でも」
「俺あんま甘いもの食べねーからさ。一緒に食おうぜ」
「……うん!」

珍しく優しげな微笑みを向けられて、快斗は心臓が高鳴った。

「はい、どうぞ」
「おー」

快斗も新一用にとチョイスしたバニラアイスを口に運ぶ。普段よりも奮発して買
ったダッツの濃厚なバニラが舌の上でなめらかに溶ける。目の前に新一がいるの
も相まって、至福の時だ。

「……ホント美味そうに食べるな」
「だって幸せなんだもん♪」

呆れたように言う新一の目は、微笑ましげに細められていた。

「……工藤も食う?」
「え?」

アイスののったスプーンを差し出されて、戸惑う新一。

「でも、風邪がうつっちまう」
「いいからいいから。俺あんま風邪ひかねぇし」

そう言われて、それならと身を乗り出して口を開くと、するりとスプーンが入っ
てくる。
冷たいアイスが熱で熱くなっていた口の中を冷やして、バニラの香りが広がった。

「ん。美味い」
「だろー? まあ俺のお勧めはチョコなんだけどな」
「そういやオメー、いつもチョコアイス食べてるな」
「大好物だからな。毎日でも食える」
「ははっ、ほどほどにしないと腹壊すって」
「大丈夫! はい、もう一口あげる」
「ん。……ゼリーも食う?」
「いいの?」
「一人じゃ食べきれねぇ。……ほい」
「サンキュ」


そうして2人でアイスとゼリーを食べきると、快斗は再び新一が横になるのを手
伝って言った。

「俺のことは気にしないで、少し寝た方がいいよ。薬は飲んだんだろ?」
「ああ、宮野にもらった……オメーも適当なところで帰れよ」
「うん」


新一が目を閉じて、しばらくすると規則的な寝息が聞こえてきた。

気づけばもう日はとっぷり暮れていて、快斗もそろそろ帰った方が良い時間だ。
音を立てないように静かに立ち上がり、屈みこんで新一の顔を覗き込む。
安心しきったように穏やかな顔で寝ている。

ヘッドレストにそっと手をついて、顔を近づけた。

滑らかな白い肌が、熱のせいで少し紅潮している。
長い睫毛に縁取られた瞼の向こうに、澄みきった瞳が隠されているのを知ってい
る。

2人の顔の距離は、10センチ。
ヘッドレストにかけた手に力を込めて、さらに身を屈ませた。

あと5センチ。
温かな寝息が口元にかかるのが感じられる。
吸い寄せられるように、もっと近づいて―――


鼻と鼻が触れ合いそうなぎりぎりの距離で、快斗はぴたりと止まった。
そして一瞬の静止の後、がばりと身体を起こす。


(やべー、俺今……)

どうかしていた。

自分の行動を振り返ると、さぁっと血の気が引いた。冷や汗がだらだら出てくる。

「……帰ろ」

鞄を引っ掴むと、快斗は慌てて部屋を出て、工藤邸を後にした。









快斗の気配が工藤邸から完全に消えた後。

真っ暗な部屋で、むくりと影が起き上がった。


「……何だったんだ、あれ………」

新一は口元を押さえて、掠れた声で呟いた。唇にかかった温かい息の感触がまだ
残っている。
そして、目を閉じていても感じた、強い視線。

頬どころか耳まで燃えるように熱くて、新一は急激に熱が上がった気がした。




                 ***





「黒羽君!」

朝のHR前の騒がしい廊下で呼び止められて、快斗は振り返った。
そこには、上級生の女子が傷ついたような表情で立っていた。それを見て快斗は
内心またかとうんざりする。

「あの、噂、聞いたんだけど……本当なの?」
「……さやかさんは何て聞いたんですか?」
「隣町の女子大生に一目惚れして、毎日大学の門の前で待ち伏せしてるって……」
「……はぁ………」

快斗は額に手を当てて項垂れた。

今朝からずっとこの調子で何人もの生徒に呼び止められては、そのたびに内容の
異なる噂を聞かされているのだ。正門をくぐるやいなや、目を爛々と輝かせた新
聞部の奴らに突撃され、下駄箱のところでやっと振り切ったばかりだ。

元々噂には事欠かない快斗だったが、何がどうなってそんな噂話が回り始めたの
か。元凶も思い浮かばない中、様々に形を変えたそれらの噂話に共通する点は、
ただ一つ、黒羽快斗に好きな人がいる、という点だった。

「それで、どうなの? 黒羽君!」

縋るような声に顔を上げると、そろそろキレてきた快斗は投げやりに答えた。

「嘘です」
「本当?!」
「はい……それじゃ」

そのやり取りに興味深々に聞き耳を立てていた周りの生徒たちの中から、歓声や
ら嘆声やら溜息やら色々なものが聞こえてくる。
大方、快斗がいまだフリーであることに喜ぶ女子生徒たちと、落ち込んでいる男
子生徒たちだ。

「相変わらずモテんのな」

再び背後からかけられた声に、しかし今度は勢いよく振り向いた。

「工藤?!」
「よっ」
「もう学校来て平気なのか? もう一日くらい休んでた方が……」
「心配性だな。大丈夫だ。黒羽が看病してくれたしな」
「っ、そ?」

思わず赤くなった頬を隠すように、快斗は顔を背けた。

「そういや、ずいぶん噂になってんな、オメー」
「え゛。ちなみに工藤サンはどんな噂を……?」
「おー。どっかの深窓のご令嬢に叶わぬ恋をしていて、ラブレターにポエムを書
いてポストに入れたとかなんとか」
「げっ」

今日聞いた噂話の中でもだいぶ寒い内容だ。

「まあ信じてねーから安心しろよ」
「はぁ……」

くすくすとおかしそうに笑った新一に一瞬目を奪われそうになりながらも、快斗
は溜息を吐いた。

「しかしよぉ、オメー何やったんだ? こんなに噂になるなんて」
「俺が聞きたいくらいだっつーの」

噂のせいで朝からげっそりとしている快斗に、新一はふむと手を顎に添えて考え
始めた。

「要約すると、黒羽が恋してるって話だろ?」
「あー、まあ……」

あまり本人の前では話したくない内容だ。

「そこんとこはどうなんだよ?」
「どうって……」

濁す快斗に、新一はからかうような声色とは裏腹に思いのほか真剣な目を向けて
くる。

「好きな子いんのか?」
「それは……」

畳みかけるような質問に口ごもっていると、水を差すように鐘が鳴り響いた。

「いけねっ、鐘鳴っちまった」
「あっ、おいっ」

これ幸いと逃げるように離れていった快斗に伸ばされた手は、何も掴むことなく
下ろされた。






















2012/12/11