(23)
「う〜〜〜ん……なあ、オメーはどう思う?」 紙の擦れる音とさらさらというペンの音だけが支配していた生徒会室に、場違い に気の抜けたような声が落とされた。 「……黒羽君。その質問何度目だと思ってるんだい?」 眉間に皺を寄せて顔を上げた白馬は、「他の役員たちの仕事の邪魔をしないでく れないかい」と溜息を吐く。 「だってよぉ……」 来客用のソファの背に顎を乗せてだらんとだらしなく座っている快斗は、不貞腐 れたように唇を尖らせた。 その様子を白馬が呆れたように見る。 「そんなに行きたいのなら行けばいいじゃないか。何をそんなに迷っているんだ い?」 「だって、風邪で辛いんなら、俺が行っても迷惑じゃね?」 「そう思うならメールでお大事にとだけ伝えればいいんじゃないかい」 「でも、一人暮らしらしいから、色々大変だろうし……」 「じゃあ何か、病人に必要そうなものを買っていってあげたらどうだろう」 「でもなぁ。いらないかもしれねーし、迷惑じゃねーかなぁ」 「………黒羽君」 「う〜〜〜〜〜」 こんな感じの堂々巡りのやりとりを、かれこれ十回は繰り返しているのだ。 さすがの白馬も、いつになくうざい友人にいい加減うんざりしていた。 初めて学校の外で新一と遊んでから週が明けてみると、どんな顔をして会おうか と柄にもなく緊張していた相手は風邪で欠席。 それならお見舞いに行こうと思い立った快斗だったが、ぐだぐだと悩み続け、結 局放課後になっても生徒会室に場所を移して唸っていた。 そんな快斗を、役員たちは戸惑いながら遠巻きにしている。 (あの時の工藤、可愛かったな……) 大きなうさぎのぬいぐるみを両腕に抱える新一。 眉間は不機嫌そうに寄せられているのに、瞳は優しげだった。 それから、シューティングゲームの時も。ぴんと伸びた背筋に、肩の力を抜いて 構えられたシューティングガン。まっすぐに画面の中の敵に向けられた目が挑戦 的に輝いて楽しげだった。 カッコいい姿も可愛い姿も。 快斗の胸を一層ときめかせるのだった。 だが同時に、気にかかることもあった。 ナイフを持っていた不良に食らわせた強烈な蹴り。 普通なら、ナイフを持った相手に向かっていくどころか凍りついて動けなくなっ てもおかしくないのに、あの飛び出し方には一瞬の迷いもなかった。 あの敏捷な動き。 細い脚からは考えられないほどの重い蹴り。 そして的確な狙い。あれは確実に一発で沈めるつもりだった。 あの時微かに感じた殺気を思い出す。 (やっぱり、オメーが『黒猫』なのか……?) そうでないことを願う気持ちと、そうであってほしいという気持ちが快斗の中で 揺れ動く。 自分の敵として対峙しなくてはならない『黒猫』。 だがその黒猫に対して、単なる敵以上の感情を持っているのも確かだった。 (こんなに工藤に惹かれてるのに、あいつのことも気になるなんて……) 自分がこんなに浮気な男だとは思わなかった。 まして顔もわからないような得体の知れない男のことが頭から離れないとは。 「どうしたらいいんだ、俺……」 頭を抱えた快斗を盗み見ていた役員たちが、小声で白馬に問う。 「どうしたんですか、あれ」 「黒羽君、らしくないですけど」 すると、白馬は「放っておきなさい」と書類から目を離さないまま言った。 「ただの恋煩いですから。関わると面倒なことになりますよ」 しかしその投げやりな一言が、役員たちを一気に色めき立たせる。 「えっ?! 黒羽先輩が恋煩い?!」 「黒羽君、好きな人いたんですか!」 「相手はっ? 相手は誰なんですか?!」 「この学校の人? いや、黒羽君なら年上の女性ってことも……」 「これはスクープ……いくらで新聞部に売れるかな……」 次々に投げかけられる質問に、しかし白馬はふふ、と意味深に微笑むだけ。 俄かに騒がしくなった生徒会室で、快斗だけが一人変わらず唸っていたのだった。 「―――って、結局来ちまってるし」 あの後、生徒会室をなかば追い出されるように出た快斗は、自然と駅へと向かう 足に逆らえずに電車に乗り、気がつくと米花駅で降りていた。 新一の住所と地理は頭に入っているので問題ない。 むしろ問題なのは快斗の心の準備の方なのだが、いつまでもうだうだしているわ けにもいかないし、もうここまで来てしまったのだし、と開き直って、途中でゼ リーやスポーツドリンクなど、病人が必要そうなものを買い込んだ。 あまり馴染みのない住宅街を奥へと入っていく。次第に大きな家が並ぶようにな り、改めて新一が金持ちの坊ちゃんであることを再認識させられた。 「―――っと、この辺か」 歩調を緩めてきょろきょろしていると、一軒の奇妙な形の家に気づいた。 家というよりはまるで何かの施設のような、モダンで近未来的なデザインの家だ。 門の脇の表札へと視線を移して、首を傾げる。 (「阿笠」って、どっかで聞いた名前だな……) どこで聞いたのだろう、と膨大な記憶の中から探し当てようとするが、いつまで も他人の家の前に立っているわけにもいかない。 考えこみながらゆっくりと歩いているうちに、隣の家の前に辿りついていた。 「あ、ここだ」 表札を見て確認する。 高い鉄柵の門の向こうにそびえる洋館を見上げた。 (工藤の部屋どこだろう……) そんなことを思いながら、とりあえずチャイムを鳴らす。 リンゴーン チャイムの音まで洋館風で、それが余計に快斗を緊張させた。 『―――はい』 「え……」 インターホンで応答した声は、女性のものだった。 「あっ、あのっ、俺、工藤新一君のクラスメイトの黒羽快斗です。風邪ひいたっ て聞いたんで、その、お見舞いにきたんです、けど……」 動揺してついしどろもどろに答える。 『……わかったわ、ちょっと待ってて』 ブチ、とインターホンが切られる。 (今の声、誰なんだ? まさか、恋人とか……?!) 親がいないのは調査済みだ。それ以外の、それも風邪をひいて看病してくれるよ うな女性といったら、恋人しか思いつかない。 奈落の底に突き落とされたようにショックを受けて呆然と立ちつくしていると、 玄関の扉が開いた。 「あら」 近寄ってきて門の閂を外しながら、その女性は快斗の顔を興味深げに見た。 「こんにちは……」 何とか声を絞り出すように言う。 だが、快斗は内心、それどころではなかった。 (……み、みみ宮野志保?!!!) 工藤邸から現れた思わぬ人物に、快斗の思考はフリーズしていた。 帝丹高校生徒会長、宮野志保。 裏の世界と関わりがあるわけでもないのにこの辺り一帯で恐れられている謎多き 人物だ。帝丹は完全に彼女の支配下にあると言っても過言ではない。 そもそも快斗が帝丹の情報網に手を出すのを躊躇っていた一番の理由は、彼女の 機嫌を損ねたくなかったからだ。黒燕と言えど、どんな報復を受けるかわからな い。 (そうだ、阿笠って……!) 聞いたことがあるわけだ。宮野志保が現在阿笠という老人の家に居候していると いう情報は、以前掴んだことがあった。今更思い出しても遅いが。 ということは、宮野志保と工藤新一は、お隣さん同士ということだ。 (けど、何で宮野志保が工藤の家にいたんだ……?) まさか、本当に2人は恋人同士なのだろうか。 「今、工藤君は部屋で休んでるわ。さっき薬をのませたところで起きてるから、 どうぞ」 「あの、宮野さんと工藤は、一体どういう……?」 「あら、私名乗ったかしら」 「い、いえ、帝丹の生徒会長は何かと有名なので……」 志保の指摘に、快斗は顔を強張らせた。 いつもなら絶対にしないミスをするほどに、動揺しているようだった。 しかし志保は特に追及することはせず、可笑しそうに唇を少し歪ませただけだっ た。 「私は宮野志保。工藤君とはただの隣人兼世話係ってだけよ。よろしくね、黒羽 君」 「どうもよろしく……」 差し出された手を、表面は笑顔で、内心はこわごわとして握る。面識はないはず だが、どうにも色々バレているようで怖い。 二階へ上がり、志保がある扉をノックする。 「工藤君、入るわよ」 「宮野、今誰か来たの、か……」 ベッドに横になっていた新一は、志保越しに見えた快斗に驚いて目を瞠った。 「く、黒羽?!」 慌てて起き上がろうとして、頭に痛みが走った。 「うっ……」 「工藤! 大丈夫か? 無理しないで寝てろって」 「わり……」 急いで駆け寄った快斗に支えられて、再びゆっくりと横になる。 「それじゃあ、私はもう行くわよ。何かあったら呼んでちょうだい」 そう言った志保は、扉を閉める直前、新一に意味深な微笑を残していった。 「……工藤と宮野さんって、どうゆうカンケー?」 閉じられたドアに顔を向けたまま、快斗がぽつりと問う。 わざわざ看病しにくるなんて、ただの隣人とは思えなかった。志保がさっき言っ ていた「世話係」というのも気になる。 「……別に、ただの隣人だよ」 「嘘だ」 「嘘じゃねぇって。あいつが居候してるとこの阿笠博士とは小さい時から家族ぐ るみでつき合ってっからさ。飯もよく隣で一緒に食べるし」 「……ふぅん」 不満そうな顔を隠しもしない快斗に、新一は拗ねたように眉を寄せる。 「何でそんなに宮野のこと気にしてんだ? つーか俺に用事があったんじゃねぇ の?」 「へ?」 「だってわざわざ家に来るくらいだから……」 言われて、快斗は手にずっと持っていたビニール袋の存在を思い出した。 「これ! 何がいいかわかんなかったけど、風邪ひいてる時にほしそうなもん買 ってきたんだ。その、ゼリーとか、スポーツドリンクとか……」 「え……もしかして、お見舞いにきてくれたのか?」 「お、おう……」 純粋に驚いたようにきょとんとした新一に照れくさくなりながらも頷く。 すると新一も何故か少し赤くなりながら「……サンキュ」と呟いた。 何となくぎこちない空気が流れ、快斗は視線を逸らす。 すると不意に視界に入ってきたものに、目を瞠った。 「あれ………」 「?」 快斗の視線を追って、新一が枕の上でもぞもぞと頭を動かす。 そして視線の先にあるものに気づいて、息を呑んだ。 「あっ、あれはっ……げほっ、げほっ」 「大丈夫か、工藤!」 「だい、じょーぶ……けほっ……」 新一の顔は赤くなっていたが、快斗はそれを咳のせいだと思いこんだ。 「……あれ、大事にしてくれてたんだ」 新一の咳が落ち着いてから、ぽつりと呟くように言う。視線の先には、一昨日快 斗がプレゼントした大きなうさぎのぬいぐるみが広めのベッドの上に鎮座してい る。 新一がどういうつもりでベッドに似合わないぬいぐるみを置いていたのかは想像 もつかないが、大事にしていることは一目でわかった。 「あ、あれは……オメーからの貢ぎもんだし?」 「ははっ、貢ぎ物か。……あながち間違ってねーかも」 ぼそりと付け足した言葉は、新一には聞こえなかったようだ。 まさかこの話で看病ネタをやることになるとは。 2012/12/06 |