(18)
「うーん………」 新一は考え込んでいた。考え込みながら、味噌汁を啜る。 昨日の放課後に起きた出来事について、ずっと考えているのだ。 『黒猫』として『浪花』のアジトに現れてから数日。あれは『黒燕』に対 する事実上の宣戦布告であり、向こうもそう取っただろう。そろそろ『レ ッドブロッサム』との関係だってバレててもおかしくない頃だ。 それなのに、この数日間、目立ったアプローチは何もなかった。 確実に第二図書室の襲撃者もとい『黒猫』の容疑者リストに名を連ねてい るはずの工藤新一の周りをこそこそ嗅ぎ回る気配もない。 そんな中唯一思い当たるのが、昨日不良に絡まれたことだ。 『黒猫』である絶対条件は、喧嘩ができること。考えようによっては、あ の状況で新一は、反撃か否か選択を迫られていたのだ。 襲われていたあの地味な生徒がいつの間にか姿を消していたことも気にな る。そして不良たちが風紀という言葉に怯まなかったのも。 「……工藤君」 (罠、か……?) もしそうだとしたら、仕組んだのは間違いなく『黒燕』だ。新一の見え透 いた挑発に、黒燕は乗ってきた。そして仕掛けてきた。『黒猫』をあぶり 出すために。 そこまで考えて、新一は胸がざわざわするのを感じた。 それは黒燕に初めて会った時に感じた高揚感に似ている。 ―――黒燕は本気だ。 左頬の痣がそれを証明している。 新一は黒燕を気に入っていた。顔は知らないが、黒猫が避けるとわかって いてナイフを投げつけてきた躊躇いのなさ。たとえ何十人もの男に囲まれ ても怖気づくどころか不敵に笑ってみせる度胸。華麗で軽やかな身のこな し。陰で動く情報屋のくせに、羨望と畏怖の眼差しを平然と受け止める目 立ちたがりなところも。 『黒猫』を暴こうと飛び始めたツバメに、新一は鼓動が速くなるのを感じ た。 だが、そう簡単に暴かせてはやらない。暴こうとしているのは何も黒燕だ けじゃない、黒猫とて、黒燕の目を隠すハットを吹き飛ばしてやろうと思 っているのだ。 もしこれが本当に罠だったのだとしたら、黒燕はどこか近くで見ていたの だろう。 だがその試みは、黒羽快斗の乱入によって阻まれた。 快斗が黒燕だと考えないわけではなかった。 確かにたまたまあそこを通りがかったというのはタイミングが良すぎるし、 その上快斗には服部と親しいかもしれないという容疑(?)もある。 しかしもし快斗が本当に『黒燕』なら、たった一発殴られた程度で止めに 入ったりはしなかっただろう。少なくとももう数発は入れさせて、もっと 注意深く観察しただろう。それくらいは用心深く狡猾な奴のはずだ。 「……工藤君」 それに何より、自分を覗きこんだ心配そうな表情は本物だった、ように思 う。 そういえば、と新一は思い出した。 (あいつの目、ちょっと不思議な色してたな……) 紫がかった、藍に近い色。 それは夜空の色に似ていて、覗きこまれて目の合った瞬間、その深い色に 引き込まれそうになった。 「……っていやいや、何考えてんだ俺……」 「……工藤君!」 「……ぅえっ?」 ハッと顔を上げると、宮野志保がすごい形相でこちらを見ていた。その隣 で博士が苦笑を浮かべている。 「いつまで味噌汁を啜っているつもりなの」 「えっ、は……あーっと……」 気が付いたら口を付けていた碗の中身はすっかり空だった。 「考え事もいいけど。食事の時くらい、ちゃんとしなさい」 「へーい……」 確かに、自分の作った料理を考え事に耽りながら食べられるのは傷つくか もしれない。毎日ではないが、週の半分はこうして隣家にご相伴にあずか っている身としては、失礼な態度だったと改める。つき合いの長い相手の 前だとついつい気が緩んでしまうのは、新一の悪い癖だった。 「それで、何があったの? 最近楽しそうじゃない。顔を殴られたってい うのに」 「え? 楽しそう?」 志保に言われて、ここ最近の自分を思い返す。 特にこれと言って良いことはなかった気がすると首をひねる。まさか今ま でに江古田で告白された人数が通算20人を超えたということが原因でも ないだろう。むしろ、その中にちらほら男子生徒が交ざっていたこともあ って、新一としては屈辱的な記録でもあった。 「そうじゃのぉ。最近の新一はいきいきしておるのぉ」 博士も微笑ましげに相槌を打つ。 「いきいき………」 言われて気づく。最近は、気づけば黒燕のことばかり考えている。 数日前に黒燕が襲撃されているのを見つけた時、最初はあの男がどこまで やれるのか観察していた。 だが、いざ黒燕のハットが飛ばされると。新一ははっきりと、嫌だと思っ たのだ。あの男の正体が自分以外の誰かに暴かれるのに、苛立ちを感じた。 後から何だか恥ずかしくなって、いやあれは襲撃者たちの中に、第二図書 室で自分が伸した『浪花』の過激派も数人交じっていたから、あの襲撃は 黒燕にとってはとばっちりだったし……とか何とか自分に言いわけしたり もした。 「何だか、恋でもしているような顔よ」 志保が面白そうに言った言葉は、聞かなかったことにした。 *** 新一が第二図書室を襲撃してから、1週間。 そろそろ向こうもしびれを切らしている頃だろうし、せっかくもぎ取った 第二図書室の独占権を行使してもいい頃だろう。 最初の一手目は新一から。 その後きちんと挨拶をしてから、二手目は黒燕が罠を張ってきた。 それならば。 「今度はこっちの番ってな」 新一はにやりと笑うと、ポケットから新品の鍵を取り出した。 志保さん登場。 短いですがここで一旦切ります。 2012/11/23 |