(15)
バックルームの戸口で固まっていた幹部の横をすり抜けるように現れた人物を 見て、服部はコーヒーを噴き出した。 「汚ぇな」 「なっ、お、おまっ……!」 「俺にもコーヒー一つ」 固まっていた幹部にあたり前のように注文して外へ追いやり、扉を閉める。 「って何勝手に注文しとんのや!」 「あ? 駄目だったか?」 「いや、駄目とちゃうけど……」 脱力した服部はがっくりと肩を下ろした。 「へぇ。けっこういいとこ持ってんな」 部屋をぐるりと見回して、どさりと遠慮なくソファに腰を沈める。二人掛けの ソファの左側、服部の斜め向かいだ。 「どうもはじめまして。俺は『黒猫』って呼ばれてるらしい」 「そのパーカー見たらわかるわ……俺は服部平次。『浪花』の総長やらしても ろとる」 「ああ、知ってる」 「……何や騒がしい思たけど、まさか『黒猫』が来とったとはなあ」 コンコンというノックと同時にドアが開けられて、盆を持った世良が入ってき た。 背後から窺える店内は静まり返っていて、異様な緊張感に包まれているようだ った。 「はい、どうぞ」 黒猫の前にコーヒーカップが置かれ、世良はすぐに踵を返した。再びドアが閉 められ、部屋の中に二人きりになる。 服部が躊躇いがちに口を開いた。 「あれが―――」 「副総長の世良、だろ?」 遮った黒猫はコーヒーを啜っていた。 「……よう知っとんな」 「まあな」 どうやら基本的なことは把握されているらしい。服部は目の前のゆるい空気に 流されかけていた気を引き締め直し、黒猫がコトリとカップをソーサーに戻し たのを合図に、口火を切った。 「単刀直入に聞くわ。自分、何で族潰しなんかしとるん?」 「俺から訪ねてきたのにそっちから質問か。……まあいいけどな。その質問の 答えはストレス発散。黒燕から聞いてねぇの?」 「……俺ら『浪花』と敵対するつもりなんか?」 「敵対? んな大げさなもんじゃねぇよ。別にオメーらを潰そうとか、考えて ねぇし」 まるで、潰そうと思えばできるとでも言いたげな口調に、他のメンバーがこの 場にいなくてよかったと安堵する服部だった。こんな発言聞かれようものなら、 今すぐここが戦場になってもおかしくない。 それをわかっていて大胆な発言をするところを見ると、もしかして黒猫は自分 の器を試しているのだろうかと、服部は余計に慎重になった。 「今日は何でここに来たんや?」 「そうそう、ちょっと報告があってな」 「報告?」 「この間、沢袋の裏の廃ビルでさ、オメーんとこの幹部に軽く蹴られたんだよ」 深く被られたフードの陰になって、目元はまったく見えないが、口元と声から 楽しげな雰囲気が伝わってきた。だがそれとは裏腹に、服部の背筋に言い知れ ない寒気が走った。 「別にどうってことはなかったんだが、やっぱちょっとムカつくだろ? 足技 使う俺が『浪花』に蹴られた、なんて」 「そら……すまんかったな」 訳も分からずとりあえず謝罪を口にすると、黒猫の唇がにやりと大きく歪む。 「ああ、いいんだよ別に。ちょっとした報復なら、もうさせてもらったからさ」 「ちょっとした報復……?」 一体何のことかと服部が首を傾げる。 すると、にやにや笑いを不気味に浮かべたまま、黒猫も鏡の虚像のように、同 じく首を傾げた。 その瞬間、ヒュンと空気を切る音とともに黒猫の頬ぎりぎりのところを何かが すり抜け、向かいの壁に突き刺さった。 突然飛んできたそれに、服部がぎぎぎと音がしそうなぎこちなさで壁を振り返 る。 そこに刺さっていたのは、ギラリと物騒な色に光る小型ナイフだった。 「なっ、ななな……!」 飛んできた方向、黒猫の背後の戸口には、いつの間にか見慣れた顔がある。 「ちっ、避けられたか」 「お、おまっ、くろっ……」 「いきなり物騒じゃねぇか」 黒猫は振り返らないまま、優雅な仕種でコーヒーを飲んでいた。 「残念。せっかくそのフード切り裂いてやろうと思ったのに」 「熱烈だな。そんなに俺の顔が見たいのか?」 「昨夜の礼がしたかっただけさ」 「何のことだか知らねーけど、オメーは礼代わりに人にナイフ投げんのか?」 「とぼけんな。戦う時の空気でわかんの」 「へぇ、すげぇな。俺のファン?」 「まさか。アンタこそ、タイミング良く現れたりして、俺のストーカーなの?」 二人の応酬に、服部は口を挟めずに二人の顔を見比べていたが、戸惑いながら も何とか口を開く。 「そ、それより、黒猫、報復って何のことや」 「さあな」 すると、黒猫の座るソファの背に手をついて、黒燕が言った。 「……やっぱりね。第二図書室襲撃はアンタだったんだ」 「なっ?! っちゅーかやっぱりって、黒燕、知っとったんか」 「まあね。こんな無茶な戦いふっかける人間が何人もいるわけねーし」 「つまり、黒猫は江古田の生徒っちゅうわけか?!」 「その可能性は高いね。制服を貸してもらうか盗るかすることもできるけど、 生徒手帳も出して、報復の方法としてわざわざ江古田校内の一室を『自分のも のにする』って言ってるんだ。他校の生徒ならそんなメリットにならないこと しないでしょ」 黒燕の推理に対し、黒猫は何も言わない。 「まあ、正体がわかるのも時間の問題だね」 言いながら、黒燕は黒猫のフードに包まれた頭を見下ろして、真剣な目で観察 している。 すると、不意に黒猫が振り返った。フードの下から、口元だけが見える。 「……知ってどうすんだ?」 「え?」 「俺のこと知って、オメーはその後どうしたい? 俺の情報を公表してリンチ するか? それとも『浪花』に引き入れようとでも思ってんのか?」 「それは……」 考えてもみなかった問いに思わず口ごもった黒燕を、黒猫がじっと見つめる。 目は隠れて見えないのに、真っ直ぐな視線が向けられているのがわかった。 そんな二人を、服部は息を殺して見ている。 自分に向けられた痛いほどの視線に耐えきれなくなって、黒燕は逃れるように ハットを深く被りなおした。 すると、黒猫が音もなく立ち上がった。 「俺は、オメーに興味がある。考え方に、戦い方に。それから、顔にも」 そう言うと、黒猫はすっと黒燕の横を通り過ぎ、「コーヒーごちそうさん」と だけ言って部屋を出ていった。 現れた黒猫の姿に再び店内がざわめくのが聞こえ、ドアがしまると同時にまた、 部屋に静寂が訪れた。 「……黒羽」 「やめろ。ヤツが盗聴器をしかけてたらどうする」 「すまん……」 気まずげな沈黙が流れる。 その沈黙を壊すように、唐突にバックルームの扉が開き、世良が入ってきた。 「黒猫は帰ったよ」 手にはチョコレートパフェとココアの載った盆を持っていて、それらをテーブ ルに置くと、代わりに黒猫のコーヒーカップを下げていった。 再び二人だけになったところで、黒燕は服部の真向かい、黒猫がついさっきま で座っていたところの隣に腰掛けた。そこが黒燕の定位置だ。 ハットを脱ぎ、パフェのスプーンを取る。 「……ヤツのコーヒーは世良が持ってきたのか?」 「コーヒー? せや、黒猫がドアのところに立ってた幹部の一人に注文して、 世良が持って来たんや」 「砂糖は? ミルクは?」 「いや、ブラックで持ってきて……黒猫も何も言うてへんかった」 「ふぅん」 「黒燕? コーヒーがどないしたん?」 訝しげに問う服部に、快斗はパフェのアイスクリームを掬いながら言った。 「仮にも自分の正体を暴こうとしている奴らのアジトで、出されたものを素直 に口に入れるか? 俺なら、何か入ってるんじゃないかって勘ぐってそんな危 険な真似はしない」 「相当肝が据わってるっちゅうことか?」 「ちげーよ。フードの下にわざわざサングラス掛けてくる用心深い奴だぜ」 「サングラス? そんなん掛けてたんか?」 「最後ちらりとだけ見えた。外と違って明るい店内だ。万一フードが脱げても、 誤魔化せるように予防線を張ってたんだ。猫みてぇに警戒心が強い。そんな奴 が、疑いもせずにコーヒーを飲んだ……」 快斗は目を細めてパフェを睨むように見た。 「確信してたんだ。コーヒーに―――いや、世良が持ってきたコーヒーに、妙 なものが入っているわけがないってな」 「世良が……? まさか、あいつが裏切ってるっちゅうんか?」 さすがに信じられないというふうに、服部が片眉を上げる。 「裏切ってるかどうかはともかく……黒猫と知り合いであることは確かだな。 さっき表の方で聞いたけど、黒猫に殴りかかろうとした幹部を世良がぶっ飛ば したらしい。世良のことだから、黒猫を守ろうとしたんじゃなく、逆に『浪花』 の幹部が黒猫に返り討ちにされるっつー不名誉な事態を避けようとしたんだろ うけど、それはつまり、黒猫の実力を正確に知っていたってことだ。世良は黒 猫と接触したことなんて今のところねぇはずなのに、不自然だろ?」 「ただ単に、『浪花』と黒猫の不必要な戦闘を止めようとしただけとちゃうん か?」 「いや、もし黒猫の実力を知らなかったとしたら、世良は間違いなく黒猫の戦 い方をじかに観察するためにそのままにしといただろうぜ。そういう性格だろ、 あいつは」 「せやな………」 「世良が最初から砂糖もミルクもなしで持ってきたのも、黒猫がブラック派だ って最初から知ってたからだ。じゃなければ、両方持っていって何を入れて飲 むか観察するだろ。些細なことでも、そういう観察は習慣になってるはずだ。 何せあいつは『浪花』の元諜報部隊長だからな」 ココアを啜りながら淡々と推理を並べていく快斗に、服部は腕を組んで考え込 む。 世良は『浪花』に不利なことはしない。 つまり、黒猫との関係を隠したところで、『浪花』への裏切りだとは考えてい ないのだろう。 悪意のない悪戯のようだと、快斗は言っていた。 もしかしたら世良も、同じように考えているのかもしれなかった。 「黒燕……これからどないすんのや」 「黒猫の正体は暴く。江古田にいるってヒントまで出してきやがったんだから な」 その声はあくまで落ち着いて単調だったが、瞳が獲物を狙う猛禽類のように光 ったことに服部は気づいて、思わず身震いをしたのだった。 2012/11/14 |