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3時間目の予鈴が鳴って、廊下に出ていた生徒たちが各々の教室に戻っていく。 その混雑に紛れて、新一は『浪花』の総長、服部平次が生徒会室へ入っていっ たのを遠くから確認した。 生徒会室は、『浪花』の連中ですら容易には近づけない場所だ。総長があえて そこに籠もるとなれば、なかなか出てこないのだと委員長が言っていた。 それにしても、計画のタイミングを計っていた時にちょうど服部が生徒会室を 訪ねたのはラッキーだった。生徒会室は位置的に第二図書室の真反対、コの字 型に折れた校舎の両端に位置しているのだ。 これから『浪花』の一部に喧嘩を売ろうと企てている新一だが、総長を相手に しようとは思っていなかった。 負ける気はしないが、頭に手を出すといことはチーム全体を敵に回すというこ とだ。そうなると、ちょっとどころでなく面倒なことになるのは目に見えてい た。 「……さてと」 廊下のざわめきが収束しないうちにと、新一は踵を返して校舎の反対側、第二 図書室へと向かった。 そんな中、新一に目を向ける人間など一人もいない。 新一はすでにウィッグと眼鏡を装着し、目立たない一般生徒に扮していた。 しかも、後で3時間目だけ教室に不在だったことを不信に思われないように、 昨日から風邪を装って休んでいるのだ。 たかだか族連中相手に用心しすぎかとも思ったが、ここには蘭が心配するほど の情報屋、『黒燕』がいるというのだから、用心しすぎるということはないだ ろう。正直、この程度の誤魔化しで『黒燕』を騙せるとは思っていない。 第二図書室の前の廊下は静まり返っていた。 気配を一層薄くして耳を澄ませば、中から話声や笑い声が聞こえてくる。それ ほどうるさくはないが、どうやら音楽もかけているようだった。 新一はウィッグに軽く触れて整え、眼鏡を直すと、一息に扉を開け放った。 中の目が、一斉に新一へと向けられる。注がれる視線を気にすることなく、新 一は堂々とした歩調で中へと足を踏み入れた。 「……っ、おい待て!」 「誰だてめぇ」 「勝手に入ってくんじゃねぇよ。ここがどこだか知らねぇわけじゃねぇだろ?」 我に返った不良たちが、狭い室内でわらわらと集まってきて新一を取り囲んだ。 新一は無言で視線だけを巡らせ、彼らを一瞥する。 数日前屋上に新一を脅しにきた三人もいる。予想はしていたが、これはちょう どいいと、新一は内心舌舐めずりをした。 さすがに『ブルーレパード』を潰した時に新一を軽く足蹴にした幹部はいなか ったが、それはまあいい。ここで『浪花』連中を傷めつければ、10倍返しく らいにはなるだろう。 憂さが晴れればいいのだ、結局。 黙って立っている新一に、痺れを切らした不良が一人、輪から進み出て新一の 胸倉を掴もうと手を伸ばしてきた。 「ここは俺たち『浪花』のテリトリーなんだよ。普通の生徒は立ち去―――」 だが、言い終える前に、新一の拳が彼の顔面に入っていた。 「……なっ?!」 あまりに速い、というより予備動作がほとんどない。攻撃の気配すら感じられ ないうちに放たれた右ストレートに、誰も反応することができなかった。 気づいた時には、攻撃を顔面で受け止めて倒れかけた不良の肩を踏み台にした 新一が、不良たちの輪を飛び越え、テーブルの上に音もなく着地していたのだ った。 「なっ、テメェ!!」 「おい、大丈夫か?!」 「ふざけんなよコラァ!!」 罵りを口々に、飛びかかってこようした不良たちに、新一はゆるりと唇を吊り 上げた。 早速テーブルに上ろうとした一人を、上からいとも容易く蹴り飛ばし、そして 懐に手を入れる。 「……これ」 それは静かな声だったが、不思議と怒り心頭の不良たちの耳に届いた。 そして制服の胸ポケットから取り出されたものに、視線が吸い寄せられる。 「ここに、俺の生徒手帳がある」 もちろん、表紙を開けば、写真と共に生徒情報が載っている。 吊りあがった唇を開いて、新一は殊更ゆっくりと言葉を紡いだ。彼らの頭に、 浸透するように。 「俺が誰だか知りたければ、これを俺から奪ってみろ。できなければ……」 ごくりと息を呑んだのは、誰だったろうか。 「この部屋は今日から俺のものだ」 数分後、第二図書室は嘘のように静まり返っていた。 喧嘩の最中、気になっていた音楽プレイヤーも片手間に停止しておいたので、 今は本当に無音だ。その余裕を見せる行為が彼らを余計に憤慨させたのは言う までもない。 一人ひとり、不良を部屋の外に運び出して、積み上げる。腕の力はあまりない と自覚しているので、正直最後に運び出すのが一番大変だった。ちなみに足を 掴んでずるずる引き摺っていったので、ついでに床の掃除もできた。 途中、一人が部屋を抜け出したのには気づいていた。 おそらく、服部を呼びにいったのだろう。授業中だから廊下は閑散としていて 走りやすいだろうが、何せ生徒会室までは距離がある。居場所を知っていても、 辿りついて戻ってくるまでの時間を瞬時に計算すれば、まだ余裕があった。 新一は職員室から拝借した鍵をポケットから取り出し、扉に鍵を掛けた。 どうせ後で壊されてしまうだろうから、鍵の意味はあまりないのだが、この方 が相手に与えられる精神的ダメージが大きいはずだ。 教員が管理しているはずの鍵を秘密裏に手に入れる力のある生徒。 衝撃は、大きい方が良いに決まっている。 不意に、扉の外で、駆ける2人分の足音と怒号が微かに聞こえてきた。 新一は時計にちらりと目をやり、にやりと笑う。 一番端の窓を開け放って下を覗きこめば、念には念を入れてカモフラージュの ために開けておいた窓が確認できた。 そして新一は窓の縁に足を掛けると、軽やかに宙へと身を躍らせた。 2012/11/03 |