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「はあ…………」 服部平次は盛大な溜息を吐いた。 もう何回目になるかもわからないそれを、心配する人間はおろか、迷惑がる人 間もいない。 服部は今、生徒会室に一人だった。 何故学校一の不良が生徒会室などという似合わない場所にいるかというと、単 純に、生徒会長の白馬と友人だからである。 関東で一、二を争う族の総長であるということは、多くの者から敬われ恐れら れると同時に、弱味を見せられる相手が減るということだ。 服部を対等どころか適当に扱う人間が身近にいないでもないが、彼らは往々に して癖の強すぎる奴らばかりだった。 そして今服部は、そのうちの2人である副総長の世良と腐れ縁の黒燕のことを 考えては、深い溜息を溢しているのだった。 「やあ、服部君。来ていたんだね」 生徒会室の扉がガチャリと相手、白馬が現れる。 疲れた顔をした服部と、爽やかな微笑を浮かべた白馬。あまりに対照的な様子 の2人は応接用ソファに、向かい合うように腰掛けた。 「そうだ、今朝クッキーの差し入れをもらってね。食べるかい?」 「構わんでええ。後で生徒会連中で分けたってや」 白馬は紅茶だけ手早く淹れると、再びソファに戻った。 「何かあったのかい?」 「……何でわかんのや」 白馬が鋭いのは今に始まったことではない。服部が大して驚きもせずに聞いて みると、白馬は苦笑して答えた。 「君は静かに考え事をしたい時はいつもここにくるじゃないか」 そうなのだ。 普段授業をサボる時は屋上にいることが多いが(ただし昼休みはクラスの友人 たちと教室か学食で食べている)、そこにはどうしたって幹部やら快斗やらが 現れることが多く集中できないため、静かな場所にこもりたい時は生徒会室の 一画を借りるのだ。学園を牛耳っている『浪花』のごろつき共でも、さすがに 白馬の絶対支配領域には足を踏み入れない。 その上、季節的に水溜まりの多くなる屋上はきつくなってきた。生徒会室の方 が断然居心地が良いに決まっている。もしかしたらこっちが本音かもしれない。 「また黒羽君のことかい?」 彼の奔放さには互いに苦労させられる身だ。共感と同情ならこの上ない相手だ った。 「んー……黒羽のことっちゅうか……世良と黒羽が何やこそこそ話してたみた いなんやけど、どっちも何も言わへんのや」 「それはもしかして、例の猫についてかな」 「おそらくな……世良は何や隠しとる気ぃするし、黒羽はえらい気にしとるし ……」 「でも、何だかんだ言って、世良さんは『浪花』の不利になるようなことはし ないだろうからね。君に話さないのは、チームに害がないと踏んでいるからじゃ ないのかい?」 「ああ、本人もそないなこと言うてたけどな……ただ面白がっとるっちゅう可 能性もある」 「……確かに」 その可能性は多いにある。 しかしだからこそ、あまりしつこく詮索すれば世良の機嫌を損ねてしまうだろ う。『レッドブロッサム』とは服部や京極も個人的な繋がりがあるとはいえ、 チームとして彼女たちとの仲は実質世良が取り持っているようなものだから、 世良の機嫌が悪くなると彼女たちとの協力関係が面倒なことになりかねない。 黒猫騒動で緊迫しているこの時期に、更なる面倒はごめんだった。 「黒羽も最近何や様子がおかしいしな……黒猫のこと気になんのやろか」 快斗は情報屋として様々な事情を把握しているが、傍観者という姿勢を崩すこ とはない。 以前のように自ら情報を操作して東京の勢力図を操った時も、影の中から出て くることはなかった。まして自分から興味を持って動くなど。 「……意外と、原因は近くにあるかもしれないよ」 「?」 白馬が目を細めて呟く。その目は何かを思い出しているようで、それでいて少 し楽しげだった。 (……何や、こいつも何か知っとんのかい) 服部は自分の周りに集まってくるひと癖もふた癖もある連中の中に、白馬もば っちり含まれていたことを今更ながら痛感したのだった。 不意に、服部は背後を振り返った。視線は扉に向けられている。同時に白馬も 視線を上げた。 遠くから近づいてくる慌ただしい足音。 そして、じっと見つめる2人の前で、生徒会室の扉が勢いよく開かれた。 息を切らして立っていたのは、『浪花』の一人だった。 「総長!!!」 「どうしたんや?」 「騒々しいですね」 ノックくらいしてください、と言う白馬の声は届いていないのだろう。 だがゆったりと溜息を吐く白馬にしても、普段生徒会室には絶対に近寄らない 『浪花』がここに現れた時点で、緊急事態なのは理解していた。 「た、たった今、だ、第二………」 「落ち着けや」 「……だ、第二図書室がっ、何者かの襲撃を受けました!!!」 叫ばれたその言葉に、服部は驚愕に目を見開いて立ち上がった。 「何やて?!」 「襲撃者は不明ですが、おそらくここの生徒で……人数は、一人です!」 「なっ……一人やと?!」 第二図書室は『浪花』の中でも過激な不良どもが集まる場所だ。特に、喧嘩に 関しては。 一般生徒はもちろん、『浪花』のメンバーでもそうやすやすとは近づけない。 「……まったく、校内で問題を起こさないでほしいね」 白馬の呆れたような呑気な言葉を無視して、服部はソファを飛び越えると、あ っと言う間に生徒会室を飛び出していった。 残された白馬は、すっかり冷めてしまった紅茶を淹れなおすために腰を上げる。 「……それにしても、たった一人の襲撃者に、第二図書室………どうやら、彼 も学校生活を楽しんでいるみたいですね」 少し安心したような顔で呟いた独り言は、誰にも聞かれることなく消えていっ た。 「一体何が起こったんや!」 校舎の反対端に位置する第二図書室へと走りながら、報告にきた少年に服部は 問いただした。 授業中のため、廊下には誰もいないが、騒々しい足音に気づいた生徒や教師が 時折教室から顔を覗かせた。 「それが……いきなりっ、第二図書室に現れて、そこを、乗っ取るって宣言、 したんです!」 息も絶え絶えな説明を聞きながら、服部は眉を顰めた。 第二図書室は、図書室と銘打ちながらも、実際は埃っぽい書庫のような場所だ。 古いソファとテーブルが置かれたスペースはあるが、あえて荒くれどもが占拠 するそこを乗っ取ろうとする意図が読めない。 (一体何が目的や……) 曖昧にぼやけて掴めない襲撃者の像を頭の中に描きながら、服部はひたすら走 った。 第二図書室に辿りついて、服部は目を疑った。 きっちりと締められた扉の外に、積み上がるように折り重なった身体の数々。 全員、この部屋に入り浸っていた『浪花』の過激派メンバーだ。 「おいっ、大丈夫か! 何があったんや?!」 一人を助け起こしながら肩を揺する。見たところ、目立った外傷はないようだ った。 呻き声をもらしてぼんやりと意識を取り戻した金髪の少年は、服部の顔を認識 すると目を見開いた。 「そ、総長!」 「大丈夫か、今保健の先生呼んださかい……」 「それより! あの野郎が……!」 「ああ、何があったんか説明してくれるか?」 「はい。3時間目が始まってすぐに、変な男がいきなり現れて、ここを自分の 部屋にするって言いやがったんです」 「変な男?」 報告にきた少年は、ここの生徒だと言っていた。 「制服着てたんでここの奴だと思いますけど、あんな奴見たことないです。ぼ さぼさな感じの長めの黒髪で、眼鏡かけてました」 「……変装かもしれんな」 どちらにしろ、これと言った特徴もない。平凡なのが一番見つけにくいのだ。 「俺ら戦ったんですが……この通りで」 すみません! と頭を下げた少年を、ちょうど駆けつけてきた保健医に任せて、 服部は第二図書室の扉に手をかけた。 だが、しっかりと鍵が掛けられていて開くことはない。 この学校の鍵は、過去に不良たちが色々としでかしたとかで、内側から鍵をか けるのにも鍵本体が必要な特殊なタイプだ。 そして、すべての教室の鍵は職員室で管理されているはずだ。書庫扱いの第二 図書室だろうと、特定の生徒が占拠していようと、例外はない。過激派が好き に使っていた時は、鍵は常に開けっぱなしだった。 つまりここを乗っ取った生徒は、職員室から鍵を盗んだか、それを頼める教師 がいるということだ。 (何者なんや……) 実質学校のトップに君臨している服部でさえ知らない、あまつさえ『浪花』の 巣窟でこんな喧嘩を売るような真似ができる人間がいたとは。 「先生、ちょぉ見逃してや」 背後で手当てに徹していた保健医に、服部は断りを入れた。 そして、訝しげに問い返される前に、足を一歩引き、躊躇いなく扉を蹴り飛ば した。 けたたましい音をあたりの廊下に響かせて、古くなっていた扉が吹っ飛んだ。 立ち上る埃の中、目を鋭く光らせてゆっくりと中に足を踏み入れる。 「……?」 数歩足を進め、部屋の中を注意深く見回して、服部は眉を顰めた。 人の気配がどこにもない。 ふと視界に入りこんだ揺れるカーテンに、服部は慌てて走り寄った。 開いた窓。 まさか、ここから飛び降りたというのだろうか。 (……三階やぞ、ここ) そんな、猫みたいな真似――― しかし、もう一度外を覗き込むと、一階下の教室の窓が開け放たれていること に気づいた。そこは、確か空き教室だったはずだ。 「なるほど、下の階に逃げよったんか……」 だが、どちらにしろ、今から男を追うのが不可能なのはわかっていた。 突然現れた襲撃者は、忽然と姿を消してしまったのだった。 新一も快斗も出てこない…… 白馬君が新一のこと色々知っているのは、帝丹の生徒会長と交流があるからです。 2012/10/30 |