(18)




最終回の放送当日だというのに、生番組での番宣もない。一日のオフをマネージャーに
言い渡されて、新一は家の中で気ままに過ごしていた。

ドラマの撮影が終わってから一カ月あまり。
快斗と最後に顔を合わせてからも同じ時間が経っていた。

好きだった、というよりは、今も好きなのだと思う。

爆発を背に窓から飛び出す時に自分をしっかりと捕まえたあの力強い腕の感触を、今で
も思い出す。


―――何であんなこと言ってしまったんだろう。

よく考えれば、快斗が、過去のことで新一をどうこうしようと考えるような人間じゃな
いことはすぐにわかる。そんなこと、彼に恋をした自分が一番よく知っている。

それでもあの時は、長く封じ込めてきた秘密が露見し、拒絶されることへの恐怖にとり
つかれてしまったのだ。気持ち悪がられて罵倒でもされたら……いやいや、快斗がそん
なことする男じゃないのはわかっている。それよりも、むしろ妙にぎこちない空気になっ
て距離を取られたりしたら、もう二度と顔を合わせるなんてできない……。

新一が床にごろごろと転がって唸っていると。


ピーンポーン


チャイムが鳴った。
時間はそろそろ午後9時になろうかという頃だ。勧誘や宣伝とも思えない。

「はい」
『……俺』

インターフォンから聞こえてきた声に、一瞬息が止まった。

『黒羽だけど……』
「あ……えっと、ちょっと待ってろ。今開ける」

玄関に鍵を開けに向かって、ハッと気づいた。
快斗が、自分に会いにきた。
急に心臓が猛スピードで動き出す。まだ、そんな心の準備、できてない。

けれど手は勝手に動いて、玄関の扉を開けていた。
門の外に、快斗が立っている。

「あ……」
「工藤……一緒にドラマ見ようと思って。いいか?」
「あ、ああ。入れよ」

門を開けてやり、中に入れる。
靴を脱ぎながら、快斗が感心したように言った。

「すげぇな。ドラマに出てくる工藤邸みたいな屋敷だな」
「まあ……あれはここをモデルにしたみたいだからな」
「へぇ。ここに一人暮らし?」
「ああ。家は親が建てたものだけど。っていうか、何で俺の家……」
「志保ちゃんに住所聞いた」
「志保に? あいつお前のことなんて一言も……って、『志保ちゃん』?」

新一が驚いたように聞き返すと、快斗は適当に頷いて、それから新一を見てクスクス笑っ
た。

「な、何だよ?」
「ハハハッ、いや、さっきから思ってたんだけど、工藤、その頭……」
「頭?」

きょとんとした新一の頭に、快斗が手を伸ばした。
優しい目で見つめられて、後頭部を撫でられる。
その視線と体温に、新一はカッと頬が熱くなった。

「な、なっ……」
「ほら、直った。寝癖」
「ね、寝癖?」
「ハネが増えてた」

そう言えば、さっき快斗のことを考えていた時に、唸りながら床を転がっていた。
髪の毛がぐしゃぐしゃだったのかと思うと、とてつもなく恥ずかしい。新一は更に顔が
赤くなった。




                  ***



意識を取り戻した時、探偵はしばらくぼんやりと視線を辺りに巡らし、自分が再び病院
のベッドに寝ていることに気がついた。
窓からは明るい光が差し込んでいる。

最後の記憶は、キッドに抱きかかえられて夜空へと飛び出したところで途切れている。

起き上がろうとすると、傷が痛んだ。

すると、ちょうど幼馴染の少女が病室に入ってきた。

『! 新一! 気がついたのね!!』

蘭がベッドに駆け寄り、ナースコールを押す。

『蘭………』
『ちょっと、起き上ろうとしないの!』
『俺、どれくらい寝てた?』
『寝てたっていうか……二日も意識を失ってたのよ。もう、どうしてあんな状態で抜け
出したりなんかしたの? 白馬君がみんなを宥めなければ、大騒ぎになってたわ』
『そうか………』






組織との戦いが終わってから二週間。
快斗は屋上の給水塔の上に座り、朝から業をサボっていた。仰向けに寝転がれば、遥か
上をゆっくりと流れていく雲が見える。
快斗はどこからともなく青い七角形のカットの宝石を取り出した。怪盗キッド最後の獲
物であり、唯一返却されなかった宝石だ。メディアは様々な憶測を並べて賑やかだが、
黒羽快斗の日常は何も変わらない、平凡な毎日だ。

レインボースカイを太陽に翳す。
輝きは青いままだ。

まだ、宝石を壊せないでいる。
無論、壊すのが惜しいと思っているわけではない。ただ、言うなれば、タイミングを測
り損ねているのだ。

本当は敵の目の前で壊してやりたかったが、あの爆発ですべてが終わった今、どうすれ
ば自分なりの決着をつけられるのか、決め兼ねていた。


ガチャン


下で屋上への扉が開く音がした。
屋上は立ち入り禁止で、しかも今は授業中だから誰も来るはずはないのだが、もしかし
たら誰かサボりにきたのかもしれない。
何にせよ、給水塔の死角にいる快斗には気づかないだろうと、そのまま宝石を眺めてい
た。

すると。

『黒羽君』

快斗がそこにいるのを確信しているような声がした。

『どうせそこにいるんだろう?』
『………白馬』

しかたなしに身体を起こすと、案の定白馬探が快斗を見上げていた。

『授業中じゃねぇのかよ』
『黒羽君こそ』

白馬は軽く笑った後、じっと快斗を見つめた。

『……工藤君が今日退院するそうだよ』
『…………』
『お見舞いに行かなくて良かったのかい?』
『……いいんだよ。どうせ、もう会うこともない』
『でも“黒羽快斗”は彼の友人だろう?』
『いや。それももう終わりだ。どうせいつも連絡取ってたのは俺の方からだったし。あ
いつもただの友達のことなんてすぐに忘れるさ』

白馬は少し黙ってから、快斗の手にあるレインボースカイに視線を映した。

『彼にキッドのことを言うつもりはないのかい? 彼なら絶対に受け入れてくれるよ』
『だろうな。けど、言うつもりはねぇ。そんな犯罪者の秘密、日本一、いや、世界一の
探偵に背負い込ませるわけにいかねぇよ。それに………』

――こんな想いを持ったまま、傍にいられるわけない。

快斗の呟きは白馬には届かなかったが、白馬は何かを察したのか、息を吐いて言った。

『まあ、君がそういうなら。でもキッドのことは、僕も一緒に背負わせてくれよ。そ
れが僕なりのけじめのつけ方だ。探偵としても、君の友人としてもね』

白馬は屋上のフェンスに近づき、校庭で体育の授業をしているクラスを眺めた。

『今の君には休息が必要なんだ。何も考えない時間がね』

快斗は答えなかった。ただ再び仰向けになり、ひたすらに青い空を見つめるだけだ。
確かに、今は色々と整理する時間が必要だ。心の中も。

白馬が去ってからも、快斗はしばらくそのままどこまでも青い空を見ていた。


結局その日は一つも授業に出ないまま、快斗は午後の始業ベルを背に学校を後にした。
普通は裏門からこっそり抜け出すのだろうが、今の快斗にそこまで気を遣う気はなかっ
た。サボりを咎められるような些細な日常の一端なんて、どうでもよかった。

校門を出て塀沿いに少し歩いたところで、数十メートル先に思いがけない人を見つけて
快斗は思わず立ち止まった。
もう会うこともないと思っていた工藤新一が、まっすぐにこちらに向かって歩いてくる。

新一から快斗に会いに来るのは初めてだ。いや、今日だって、もしかしたら白馬に会い
に来たのかもしれない、そうに違いない。

快斗は再び歩き出して、二人の間の距離が数メートルに縮まった時、どちらからともな
く足を止めた。
一応黒羽快斗はまだ友人なのだから、無視するのはおかしい。自分に言いわけをして、
人好きのする笑みを浮かべる。

『よう、久しぶりだな。今日はどうしたんだ? 白馬なら、まだ授業中だけど』

しかし新一はそれには答えず、快斗の左腕に視線を走らせた。

『怪我、もう大丈夫なのか?』
『え?』

目を見開く快斗に、新一が近づいてきた。快斗が何も言う前に、新一は快斗の左腕を取
り、肘のあたりを擦るように注意深く見た。

『くど―――』
『何で見舞いに来なかったんだよ』
『いや―――』
『言うだけ言って一人置いていきやがって』

うろたえて言葉に詰まる快斗に、新一はずいと顔を寄せた。

『もう一度言え。俺はお前からも聞きたい』
『え………』

何を聞きたいというのだろう。明らかに快斗をキッドと決めつけて話している新一に、
快斗は二週間前の夜のことを思い出していた。
そして思い当たる。

『もしかして………』

よく見ると、新一の顔が微かに赤い。
快斗はさらに目を瞠って、それからふっと笑みを浮かべた。
快斗の左腕を取ったままだった新一の手を逆に取り、引き寄せる。

『好きだ。新一のことが、世界中の誰よりも』

抱き寄せられて、新一は大きく頷いた。






『っていうか、いつから知ってたんだよ? 俺がキッドだって。白馬か?』
『いや、最初から』
『さ、最初? ということは、飛行船ハイジャックの時に黒羽快斗に変装しろって言っ
たのも……』
『もちろん、快斗だって知ってたからな』
『嘘ぉ〜〜』

快斗はがっくりと項垂れてから、ハッとして勢いよく顔を上げた。

『い、今、俺のこと快斗って……』
『さあな』
『新一!!』




                 ***




最終回90分拡大スペシャルが終わって、時間は10時半を回った。

テレビを消すと、急に静寂が部屋を支配した。

「……えっと……ついに終わったな」
「ああ」
「……コーヒーのおかわりいるか?」
「ありがと」

二つのカップを手に立ち上がろうとした新一の腕を、快斗が押さえた。

「く、黒羽?」

動揺する新一の目をしっかりと捉え、快斗は口を開いた。

「新一。俺が、さっきあの中で言ったこと。俺は本気だ」
「な、何言って―――」
「ドラマの中では新一の方から会いに来てくれたけど。現実では俺が会いにきた。新一
に告白するために。気づくのが遅すぎたけど、でも好きなんだ、新一のことが」
「黒羽………」
「快斗って呼んでよ。ドラマみたいに」
「……快斗」

快斗の顔が近づいてくる。
触れるか触れないかのところで、新一はハッとして顔を背けた。快斗が顔を顰める。

「……何で避けるの」
「い、いや! だって色々! その、俺の過去のこととか、小泉さんのこととか……」
「ああ。新一のことを調べてたのは、単に好きな人のことをもっと知りたかったからだ
し。もうこそこそしないから心配すんな」
「え………」
「俺も撮影の最後の方でやっと自覚したんだけどさ。っていうか紅子のことって何」

あいつが何か言ったのか、と快斗がさらに顔を顰める。その目に殺気さえ見えて、新一
は慌てて言った。

「い、いやだって、お前は彼女のこと好きなのかなって……写真集持ってたし」
「はあ? あれは新一の写真が見たくて苦労して手に入れたんだよ。っていうかお前じゃ
なくて快斗って呼べって」
「か、快斗……」
「うん」

再び近づいてくる顔に、新一は今度は大人しく目を伏せた。















<fin.>











Dramatic! はこれで終わりです。
予定より長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございます。
この設定で書きたい話がまだまだあるので、番外編という形でたまに書くかと思います。







2012/09/22