ホグワーツの創設者の一人、サラザール・スリザリンの所業、そして いまだ多くの人の記憶に焼き付いている『例のあの人』の恐怖支配か ら、スリザリンは学校での嫌われ者だ。真っ向から対立するグリフィ ンドールだけではない、中立のレイブンクローやハッフルパフも、何 かと薄暗いイメージの付きまとうスリザリンとはなるべく関わりたが らない。 談話室も地下でじめじめした雰囲気だし(慣れればそれすら居心地よ く感じるが)、純血を重んじるがゆえに名家の出のものが多いせいか 高飛車な者が多い。自分も含めて、とドラコ・マルフォイは声には出 さず呟いた。 校内だけのことではない。かつて「例のあの人」に加担していたと噂 されるマルフォイ家の人間だということで、どれだけ周りから畏怖と 軽蔑と嫌悪と厭忌と……とにかく、それだけの負の感情を幼い頃から 浴びせられ続けてみろ、卑屈になるのも致し方ない。 そんな似たり寄ったりの連中が、腹の探り合いをしながら保身のため に馴れ合っているこの寮で、一人だけ、毛色の違う者がいた。 勉学、魔術、身体能力、どれをとってもホグワーツ創立以来の天才と 言わしめるほどの魔法使い。 言うまでもなくスリザリンの誇りだが、特異なのは彼が他の寮生、そ れもグリフィンドール生の間でも人気者だということだ。それは彼の 公平で紳士的な態度と世話好きな性格によるものなのだろうが、初め て彼の噂を聞いた時はにわかに信じ難かった。グリフィンドール生に 慕われるスリザリン生だなんて、ドラコがハリー・ポッターと親友に なるくらい、ちょっと考えられないことだ。 グリフィンドールなんかに慕われる先輩を尊敬できるのか。懸念はあ ったが、本人に会った瞬間、そんなものは掻き消えた。 その場を制圧する圧倒的な存在感。まさに支配者の器だとひと目で悟 った。彼の一挙手一投足、言葉一つ、表情一つに目が引き寄せられる。 しかも、廊下を歩くだけで学校中の生徒がひっきりなしに声をかけて くるだろうに、一度挨拶したことがあるだけのドラコのことをちゃん と覚えていてくれた。以来、後輩の世話を焼くようにドラコのことを 何かと気にかけてくれている。 人懐っこい笑顔がスリザリンには似つかわしくないと思ったが、よく よく話せばスリザリンらしい狡猾さと計算高さを持っているとわかる。 そしてある人のことが関わると、普段の無邪気さからは考えられない ほど冷徹な目をするらしいと上級生の噂で聞いた。 ある人というのは、常に彼と並び称されるグリフィンドール生だ。彼 と同じくあらゆる分野で突出した才能を見せ、教授陣からの信頼も厚 い。何の因果か彼と顔の造形が酷似しているが多少線が細く、黙って いれば儚い印象を受ける。反面、性格は意外と気さくで豪胆らしいが。 容姿のおかげもあるのか、スリザリンにもファンは多い。 正直ドラコはその人のことがあまり好きになれない。 確かに優秀な魔法使いなのだろう。そしてミステリアスな雰囲気が彫 刻のような端正な容姿にプラスされて人を魅了する美少年であること は、遠目に見ただけでわかった。 だが、彼があの憎きハリー・ポッターと同じグリフィンドール生であ ること、そして慕っている先輩のお気に入りであり、さらには尊敬す る先生までもが一目置いていることが、ドラコの自尊心をちくちくと 刺激する。要するに嫉妬と僻みだ。自覚はある。あるから余計に苛つ くのだ。 地下牢に大嫌いな三人組が走り込んでくる。あと十秒遅ければスネイ プから罰を与えられただろうに、と内心舌打ちする。嫌味の一つでも 言ってやろうかと思ったが、その前にスネイプが現れたため諦めた。 その日は休み明け初っ端から実習で、いくつかの指示の後は各々魔法 薬の調合に取り掛かっていた。決して近くに座っていたわけではない 三人組の会話が聞こえてきたのは、教室の棚に用意された材料を取り にいった帰りだ。 「いつの間にあの二人と仲良くなったんだよ?!」 「だから、クドウさんとは休暇中にちょっと知り合っただけで……も う一人のクロバさんとは今日が初対面だよ」 「嘘。カイト様もすごく親しげだったじゃない!」 「様って……」 カイト・クロバ。 敬愛している先輩の名前が出てきてドキッとした。それにクドウとい うのは、カイトと対をなすシンイチ・クドウのことで間違いない。 会話の様子からして三人組はあの二人と知り合いらしい。 カイトが三人組、特にハリー・ポッターを気にかけてにこにこと話し かけているのを想像すると、もやもやする。ドラコはすり鉢の中の材 料をさらに細かくすり潰した。世間の注目だけで飽き足らず、カイト の興味も攫っていくハリー・ポッター。大した実力もないくせに。わ かっている、これもただの嫉妬だ。 授業が終わると、生徒たちが実習に取り組んでいる間にレポートの採 点をしていたスネイプが、片付けの済んだドラコを呼び止めた。 「何でしょう?」 雰囲気からして出来が悪いと怒られるわけではなさそうだ。 「お前のレポートで挙げていた例の一つに、身体の部分変異をもたら す薬による副作用というのがあっただろう」 「はい」 「一般生徒が閲覧できる資料が少ない中よく調べてあった。もし興味 があるのなら、クロバに聞いてみるといい。面識があるならクドウか ミス・ハイバラでも構わんが」 ミス・ハイバラ――いや、多くの者から尊敬を込めてドクター・ハイ バラと呼ばれる少女は、魔法薬学に特化した三年生で、その恐るべき 知識量とは別に、双璧と呼ばれる二人が唯一逆らえない存在であるこ とでも有名だ。 研究に没頭しているせいかなかなか見かけることはないが、見かけた ら見かけたで、何か怪しげな実験を企んでいるのではないかと恐れら れるマッドっぷりらしい。 魔法薬学の専門家としてスネイプも認めるところがあるのだろうが、 彼女もグリフィンドールだったはずだ。グリフィンドールを毛嫌いし ているはずのスネイプの言葉に、ドラコは複雑な気持ちでつい、疑問 を口にした。 「あの、先生は……認められるんですか? グリフィンドールなのに ……」 言葉にすることで余計に自分の矮小さが浮き彫りになった気がして、 スネイプの視線から逃げるように項垂れる。 「……あの連中は」 唸るような声に顔を上げると、苦虫を噛み潰したような顰め面を浮か べていた。 「あらゆる意味で非凡だ。高慢だが巧妙で抜け目ない。愉快犯な節も あるから余計に厄介だ」 そして、ウィーズリーの双子など可愛いものだと呟いた。 抽象的な表現にとどめたスネイプは、それ以上は語りたくないとばか りにドラコを追い出した。だが、その渋面とは裏腹に、それほど彼ら への嫌悪感はないのだろうという気がした。 だいぶ遅くなってしまった、と消灯時間を気にしながら足早に図書館 の出口へと向かっていると、突然、本棚の陰から人が現れた。 「ぅわっ」 避ける間もなく思い切りぶつかって、尻もちをついてしまった。まさ かそこに人がいるとは思わなかったのだ。気配がなかったし、第一そ こは、禁書の棚――。 転びはしなかったものの抱えていた本を落としてしまった相手は、ド ラコを見て僅かに目を見開いた。 「カイ――」 ドラコは呼びかけて、違うと気づく。顔は似ているが、首から下をす っぽりと黒いローブに包まれて、館内の薄ぼんやりとした明かりの中 浮かび上がるビスクドールのように整った白い顔、黒く艶やかな髪、 そしてビー玉のような瞳は、どこかひんやりした夜気を思わせる密や かさを持って、静かにそこに存在していた。 遠目になら見たことがある。この学校で知らない者など恐らくいない、 あのシンイチ・クドウだ。 「悪い! まだ人が残ってたなんて思わなかった」 申し訳なさそうにそう言いながら手を差し出され、一瞬の逡巡の後、 素直にそれを握った。 思いのほか強い力で引き上げられ、立ち上がる。軽くローブをはたい て、足元に落ちていた彼の本を拾おうと屈むと、寸前で彼に止められ た。 「大丈夫だ。ありがとな」 目の前で彼が拾い上げた本の表紙を見ると、明らかに普通ではない装 飾が施されている。やはり、一般生徒が触れることを許されない禁書 のようだ。とすると、あの噂は本当だったわけだ。 ドラコの視線に気づいたシンイチが苦笑を浮かべた。 「えっと、確かカイトの後輩だったよな? マルフォイ、だったか?」 「はい。ドラコ・マルフォイです」 存在を認識され、名前まで知られていたなんて驚いた。 「俺はシンイチ・クドウだ。……こんな時間まで勉強か。偉いな」 シンイチがドラコの腕の中の教科書を見て言う。 「別に、あなたには関係ないでしょう」 つい口をついて出た嫌みったらしい言葉に、ドラコはしまったと思っ た。先輩だろうと相手はグリフィンドールなのだから、いつもの見下 した態度で嫌みの一つや二つ何でもないのに、何故だか、いざシンイ チを前にすると、彼の綺麗な瞳に軽蔑の色が浮かぶのを見たくないと 思った。 動揺しているのだ。由緒正しいマルフォイ家の跡取りとしてのプレッ シャーの中で、熱心に勉強するのはキャラじゃないから、一人で隠れ るように努力していたことを知られて。 しかし、シンイチは気にしたふうもなく苦笑して、ドラコの抱えてい た本を覗きこんだ。 「お、『初歩的な悪戯魔法1000』なんてのも借りてるのか」 「え、あ」 タイトルを呼んだシンイチに少し焦った。くだらない本を借りている と思われただろうか。 だがシンイチは楽しげに目を細めた。 「懐かしいなー。俺も昔読んだよ」 「え、あなたが……?」 「ああ。それを応用してカイトと悪戯したことあるな。ダンブルドア のレモンキャンディーを舐めるとウサギの耳が生える飴にすり替えた り、スネイプの地下牢の床をチョコレートの沼に変えたり。魔法の解 除方法がまた鬼畜でさ……」 今でも暇になるとやるぜとシンイチがおかしそうに言うのを聞きなが ら、スネイプが苦い顔でウィーズリーの双子なんて可愛いものだと呟 いていたのを思い出す。どうやらこの二人も相当の問題児らしい。カ イトは想像できるが、新一に対する真面目そうなイメージは改めた方 が良さそうだ。 「あ、そうだ、今ここに所蔵してるのって第四版だろ? 第二版以降、 悪趣味だってんで削除されちまった魔法があんだけど、よかったら教 えようか?」 「え……何であなたが僕にそんなこと」 「いいからいいから。悪戯するにしても、相手が知らない魔法の方が 意表をつけるだろ?」 シンイチが悪戯っぽくウィンクする。 ドラコは気がついた。おそらく彼は、ドラコが誰にその悪戯魔法を仕 掛けようとしているのか、わかっているのだろう。相手の三人組の中 に、魔法の知識量では敵わない少女がいることも。 何故協力するようなことを言うのだろう。あの三人組は、シンイチの 寮の後輩だというのに。 「今度時間ある時に教えるな。コツがいるんだけど、お前なら練習す れば使えるようになるから」 シンイチはそう言うと、懐中時計を開いて僅かに顔を顰めた。 「悪い、つい話しこんじまったな。心配すんな、スリザリンの監督生 には俺が引き止めたって話通しとくから。……夕飯は食べたのか?」 「あ、はい……」 答えた瞬間、盛大にドラコの腹が鳴った。 「…………」 「…………」 「……はぁ」 シンイチは溜息を吐くと、ちょっと待ってろと言って禁書の棚の奥へ と消えた。 それから一分もしなかったと思う。シンイチが何かを手に戻ってきた。 「これ持ってけ」 押し付けるように手渡された紙袋を開けて覗きこむと、パイのような ものが二切れ入っていた。ほのかに甘い匂いとシナモンがふわっと香 る。 驚いて顔を上げると、シンイチは早く寮に戻れと言うようにドラコの 背を押した。 ドラコがパイの礼を言い忘れたと気づいたのは、図書館を出て外の冷 気に当たってからだった。 あの夜、寮に辿り着いたのは消灯時間をとっくに過ぎた後だったが、 宣言通り話を通しておいてくれたらしく、まったくのお咎めなしだっ た。違う寮の、それも監督生より年下だというのに、一体どういう権 限を持っているのか。 それから一週間もしないうちに、彼からのメッセージが届いた。魔法 薬学の授業でドラコがいつも好んで座る席に、今日の夕方迎えに行く と、流れるような文字で書かれた羊皮紙の切れ端が置いてあった。名 前はなかったが、何故かシンイチだという確信があった。 迎えに行くって、どこに?とその日のすべての授業が終わった後にク ラッブとゴイルと別れ一人で大広間に向かいながら、今更なことを考 える。他寮生はスリザリン寮には入れないし、待つとしたら寮の外だ ろうか、それともわかりやすい大広間か、と思案していると、突然背 後から両肩を掴まれた。 「よっ」 「シ――カイトさん!」 思わず頭に浮かべていた方の名前を言いそうになって、目に入った癖 毛と深い藍色の瞳に言い直す。 カイトがぐいっと強い力で肩を組んできた。 「これから飯?」 「はい」 「一緒に食おうぜ」 「はい!」 カイトから夕飯に誘われるのは初めてのことだ。 すれ違う生徒たちが羨望の眼差しを向けてくるのに優越感を覚える。 「お前、顔青白いけどちゃんと食ってんの?」 「食べてますよ。青白いのは元からです!」 「あそ。勉強もほどほどにしとけよー。誰かさんみたいに食事忘れて 本ばっか読んでたらすぐ倒れっから」 「ご心配なく。そんなやわじゃないですよ」 軽口をたたきながら、廊下を曲がって、階段を上―― 「……え?」 廊下の先にあったのは大広間に続く大理石の階段ではなく、見たこと のない木の扉だ。いつの間にか周囲からはあれだけいた人が消え、ど こか遠くからざわめきが聞こえてくるのみだ。 その時、ドラコはようやく、カイトが大広間に向かっているのではな いと気がついた。知らぬうちに誘導されていたらしい。 カイトは変わらぬ笑顔で扉を開け、ドラコを促した。 扉は外に繋がっていた。真っ暗闇の中(何しろこの時期のイギリスは 午後四時には日が落ちる)、真冬の冷気と足の下でさくっと音を立て た雪がそれを教えてくれる。 まるで拘束するかのように肩を組んだままのカイトが杖を一振りする と、一列に並んだ木々の枝先に等間隔でオレンジ色の明かりが灯った。 カイトに押し出されるように歩き出す。 「カイト、さん……?」 カイトは何も答えない。 困惑したまま、肩に回ったままの腕に促されるままに足を動かす。 五分も歩いただろうか。見慣れた建物に辿り着いた。 「……図書館?」 の、裏側のようだ。 小さな扉をカイトが開けて、中に入る。裏口があったなんて知らなか った。 狭い廊下を進み、一つの部屋に連れて行かれる。そこは小さな自習室 のようで、壁際に本棚、中央に大きなテーブルが一つ置いてある。 「あいつもさ」 そこでようやくカイトはドラコを解放した。 「本が好きで、図書館に籠もってる間は食事とか睡眠も平気で忘れて 没頭すんだよな」 シンイチのことだとは聞かずともわかった。それよりも問題なのは、 カイトが微笑を浮かべながらも、その目がどこか冷えていることだ。 自分は一体、何をしてしまったのだろう。 「だから俺が何か食うもんをここに用意しておいてあげたりするわけ」 拘束されているわけでもないのに指一本動かせずにいるドラコに、カ イトは無邪気にこてんと首を傾げた。 「この間も厨房借りて、あいつのためにパンプキンパイ、作ったんだ けど」 ――どこ行ったか、知らない? ドラコはごくりと唾を飲み込んだ。 ここまで言われて思い至らないほど馬鹿じゃない。シンイチに渡され たのは、確かにちょうどいい甘さの絶品パンプキンパイで―― ――ある人が関わると、普段からは考えられないほど冷徹な目をする。 上級生の忠告まがいの噂は、本当だったわけだ。 「あ……」 何か言わなければ、そう思うも喉が張り付いたように声が出てこない。 カイトがすっと目を細めた、その時。 バコッ 「い゛っ……」 大きな音がして、カイトは頭を抱えてしゃがみこんだ。 その背後にいたのは、シンイチ・クドウその人だった。 シンイチの手には分厚い本があり、それで何をしたかは明白だ。 「はぁ……ったく何やってんだよ。後輩をビビらすな」 シンイチが呆れたように眉を顰める。 「うー。だって……」 「あれは俺が一方的にマルフォイに押し付けたんだ。知ってんだろう が」 「そうだけど」 「オメーが作ってくれたの勝手にひとにやっちまったのは悪かったっ て。謝っただろ?」 「それは別にいいんだって」 「ここに連れてきてくれたのは感謝するけど。脅しなんて頼んでねー ぞ」 「脅しだなんて」 「思いっきりそうだっただろうが」 シンイチが、気が緩んでへたりこんだドラコを見る。 「悪かったな。こいつが変な独占欲のせいで八つ当たりしちまって」 「い、いえ……」 「独占欲だってわかってるならもうちょっと――」 「はいはい」 抱きつこうとしてくるカイトを押し返したシンイチは、ドラコに徐に 尋ねた。 「パイ、美味かったか?」 「はい、それはもう……」 今まで食べてきた中でも一番だったんじゃないだろうか。思い出した カボチャのまろやかな甘さとシナモンの香りが口の奥で蘇るようだ。 すると、シンイチが笑みを深めてカイトを見た。 「あれは本来俺のためだけに作られたもんだろ? ちょっとくらい自 慢してもいいじゃねぇか。俺にはこんなすげぇ専属魔法使いがいるん だぜ、って」 「シンイチ……」 カイトが目を丸くする。 「あの……あなたたちって、その、付き合ってるんですか」 二人のやり取りを見ていて、惚気られているような気分になったドラ コはおずおずと尋ねた。噂では彼らが恋人同士だというものもあった が、彼らの関係について、何一つ正確な情報というのはなかった。 「ああ」 「ラブラブだろ、見てわかんない?」 返ってきたのは率直な肯定で、ドラコは一つの可能性に気づいた。 自分はもしかしたら、とんでもないバカップルに巻き込まれつつある のかもしれない。
懲りずに2発目。 マルフォイ好きです。 2014/01/19 |