「人にはちょっと言えないくらいの大きくて深い事件で、今でも表沙汰にはなっていな い。俺はそれに巻き込まれて、しばらく姿を現せなかった」 「……もしかして、それが原因で蘭ちゃんと……」 和葉がおずおずと尋ねる。 「蘭の恋人になれなかったのは、確かにその事件がきっかけだったんだと思うよ。一度 離れて、蘭のことが何より大切だけど、それが家族愛に近いものだって気づいた」 「家族愛……」 「蘭のことを守りたいのは今も変わらない。それは、服部が遠山さんを守りたいってい うのと似ていると思う」 「うちはっ、そない守ってもらわんでも構へん」 新一は困ったような笑みを浮かべた。 「それだけ遠山さんのことが大切なんだ。わかってやってよ」 「大切て……」 組織との攻防の中で、新一は一度は平次の関与を拒んだ。彼には大切にすべき少女がい たからだ。闇の世界に関われば、危険なだけでなく、その重荷を一生背負っていかなけ ればならなくなる。傍にいて幸せにしてやりたい人間がいる平次に、自分のような思い をさせたくなかった。 けれどあの男は、そんな新一の思いをいとも容易く跳ねのけたのだ。 そして自分には本来関わりのない組織との長く辛い戦いに、自ら関わり協力した。 とにかく情の厚い男なのだ、彼は。 困っている人間を放っておけない。 「それやったら、平次のも家族愛ってことなんか?」 不安が押し寄せ、和葉の表情をこわばらせる。新一はひたと和葉の目を見つめ返した。 「遠山さん。遠山さんが俺に相談しにきたのは、本当は、俺と蘭が恋人になれなかった 理由を知りたかったからなんじゃないか?」 「え……」 「遠山さんは、服部との関係を、俺と蘭の関係に重ねてる。違うかな?」 図星なのか、和葉は視線を俯かせた。 「確かに、俺たちの関係は似ている。幼馴染だし、探偵だし。性格だって、重なるとこ ろは結構あると思う。……けどな、俺たちは同じじゃない。考え方も想いも、選ぶ道も。 俺が守るために蘭を遠ざけたとしても、服部が遠山さんに同じことをするわけじゃない。 俺と蘭が恋人になれなくても、服部と遠山さんがなれないわけじゃないんだ。俺の想い は俺だけのもので、服部の想いは服部だけのものだ。そこを、間違えないでやってほし い」 「工藤君……」 想いが伝わらないことがどれだけ悲しいことか、新一は知っている。 「工藤君には、好きな人がおるんやね」 「え?」 何かを悟ったのか、先ほどまでの不安を払拭した和葉が穏やかに笑った。 「今の工藤君見ててわかったわ」 「……敵わないな」 これだから女の勘は怖い。 新一は苦笑した。 そして照れ隠しに、コーヒーのおかわりを持ってくると言って腰を上げた。 *** 「ったくもー、わかった?」 「お、おう。まずはデートで手をつなぐんやな」 「そう。最初ちょっと肩が触れるくらいの距離で歩いて、あくまで自然にだぞ」 「自然に。自然に……」 「何か不安だな……」 色々なシチュエーションを想定して、とるべき行動を手ほどきしてやる快斗だが、新一 や快斗とは違い、いかんせんスマートさに欠ける男だ。 何だかしっくり来ていなさそうな服部をじっと見つめる。 「な、何や?」 「……服部って、不器用なんだなと」 「何やと?!」 服部はむっとした表情で睨んできたが、すぐにふっと息を吐いて表情を緩めた。 背もたれに身体を預け、視線をウィンドウの外へ向ける。 「……探偵は不器用な生き物なんや」 「探偵って……新一はそこまでじゃないと思うけど」 快斗が自分との恋愛模様を思い浮かべて言う。新一は自分に対してもストレートな物言 いをするし、甘えるのだって上手い。親の教育からか、女の子の扱い方も手慣れている。 大体にして、好きな人との距離の縮め方がわからないと言って男友達に相談するような 真似はしない、と思う。 「いやいや、そうでもないで」 服部が唇の端を僅かに上げた。 「黒羽が知っとるかどうかはわからんけど、あいつにも好きな奴がおんねん」 「へぇ。新一から聞いたの?」 「まあ、そない気がして聞いてみたら肯定されたんや」 それにしても、新一が服部に恋愛の話をしていたとは意外だった。もしかしたら聞かれ てもはぐらかすんじゃないかと思っていたから、何だか少し嬉しくなる。 「俺は心配してたんや。幼馴染の蘭姉ちゃんと付き合う気がないって聞いた時は、こい つ、もう誰も好きにならんつもりなのかもしれへんて。それだけ工藤があの時置かれた 状況は厳しすぎたんや。けど、そんなん寂しすぎるやろ? だからいつか、工藤が自分 から手を伸ばしたいと思う奴が現れればええって、思っとったんや」 「服部……」 「しばらくして状況も落ち着いた頃に電話したら、工藤の奴、ひどい声出しよるからわ かったわ。こいつ、死ぬほど好きな奴がおるんやなって」 第三者から初めて聞かされる話に、快斗は内心そわそわしていた。 服部は視線を外に向けたまま、優しい微笑を浮かべて言った。 「本当に欲しいもんに限って素直に手を伸ばせへん奴やで、あいつは。決めたら行動は 早いけどな、決心するまで苦しかったんやろな。そいつがいなけりゃ生きていけへんっ ちゅーくらい思っとるくせに、自分が手を伸ばしてええのか躊躇うんや。ホンマにアホ で不器用な奴やろ」 「うん……ほんとに」 快斗は胸が締め付けられるようだった。 当時は新一があまりにも堂々とした態度で快斗に接していたから、そんなに苦しんでい たなんて知らなかった。 快斗は滲んできそうな涙を慌てて何とか引っ込めて、すっかり溶けてしまったパフェの 残りをかき込んだ。 今すぐ、新一に会いたい。 *** ガチャ ドタドタダン 家の中が俄かに騒がしくなり、バタンとリビングのドアが開く。今朝喧嘩をして飛び出 していった恋人が、今度は逆に飛び込んできた。 「新一ぃ〜!」 快斗はそのまま入ってきた時の勢いを殺すことなく、立ち尽くす新一に抱きついた。 てっきり気まずげな顔でこっそり帰ってくるかと思っていたが、予想とずいぶんと異な る恋人の様子に、新一は首を傾げる。 「ただいま新一!」 「おう、お帰り……」 抱きついたままぐりぐりと首に懐いて離れようとしない快斗に、新一は焦った。何せこ の部屋には和葉がいて、今も驚いた顔で自分たちを凝視しているからである。 「お、お前な、ちょっと離れろっ」 「いやだ〜〜」 「快斗!」 いい加減蹴り倒そうかと足を上げたところで、開け放たれたリビングのドアからもう一 人現れた。 「おー、久しぶりやな工藤。あがらしてもろたで」 「服部!」 「平次!」 のんびりと手を挙げて現れた人物に驚いたのは新一だけではなかった。ソファで呆気に 取られていた和葉も、服部を見て慌てだす。 「何や和葉。何でお前が工藤ん家におるん? 工藤に用でもあったんか?」 「あ、あんたこそ、平蔵さんのおつかいで警視庁寄るって言うてたやん」 「そんなんとっくに終わっとるわ」 そのやり取りでやっと和葉の存在に気づいたのか、快斗はむくっと顔を上げて和葉を見 つめた。ちなみに、その間も新一が快斗の拘束から逃れようともがいているが、腕はび くともしない。 快斗の視線に気づいた和葉が、慌てて立ち上がった。 「あ、あたし、遠山和葉っていって、そこの平次の……」 そこで言い淀んだ和葉に助け舟を出したのは、何と快斗だった。 「服部の彼女さんね」 「えっ」 快斗は新一の首からするりと腕を外すと、和葉に薔薇を差し出した。突然現れた瑞々し い花に、和葉は驚きながらも受け取る。 「すごい! 手品?」 「そう。俺は黒羽快斗。マジシャンで、新一の……」 今度は快斗が言い淀む番だった。だが、一瞬の間の後に「友達」と言おうとした快斗を 遮るように、服部が口を開いた。 「彼氏や」 「え?」 「和葉、そいつ、工藤の彼氏や」 三人が、一様に驚いた表情で服部を見る。服部はそんな視線を受け流して尋ねた。 「せや、今晩ここに泊めてもろてええか?」 ――快斗に向かって。 「え……え?」 「なんでこいつに聞くんだよ。家主は俺だぞ」 「せやかて、一緒に住んどるんやったら、こいつにも了解取った方がええやろ」 「え? ええっ? は、服部クン?」 「呼び方戻っとるで」 「落ち着け快斗」 新一が呆れたように言ったが、快斗は優秀な頭が空回りして混乱から抜け出せない。 「え? だって彼氏って、え? 一緒に住んでるって、え? ええ〜〜?!」 「何やこいつおもろいな」 「つーかお前ら何で一緒にいたんだよ。いつの間に知り合ったんだ」 「工藤君」 驚きから立ち直った和葉が、小声で新一に呼びかける。 「工藤君の好きな人って、黒羽君なんやね」 「あー……まあ、うん。引いた?」 和葉はぶんぶんと首を振った。 「ううん、全然! 何や、羨ましいわ。工藤君が黒羽君のこと好きな気持ち、ごっつ伝 わってきたで。黒羽君、愛されてるんやね」 「え」 今ので? と新一が首を傾げる。快斗が新一に抱きついてきただけで、むしろ快斗の愛 情表現の方が過剰だった気がする。 新一の疑問が伝わったのか、和葉は苦笑して言った。 「黒羽君を見る工藤君の目、めっちゃ甘いんやもん。黒羽君が大切でしかたないって言 うてるで」 え、と思わず目元に手をやる。自覚がなかった分、人から言われると急激に恥ずかしく なった。 「ほんなら、あたしはそろそろ行くわ。蘭ちゃん待たせとるし」 和葉は荷物を持つと、去り際に小声で新一に言った。 「工藤君、相談に乗ってくれてホンマにありがとう。あたしも工藤君たちみたいにラブ ラブになれるよう、頑張ってみるわ」 *** その日の夜。 服部が手土産にと持ちこんだ酒で、工藤邸は男三人で盛り上がっていた。 「っていうかさー、何で服部は俺が新一の恋人だって知ってたわけ? 新一から聞いた の?」 「いや、恋人がいて、男でマジシャンで面白くてカッコよくてカワいくて目が離せん奴 やっちゅうんは聞いてたんやけど、それが黒羽やっちゅうのは知らんかったで」 「新一っ」 思わぬ形容詞の羅列に快斗が感激する。 「おい服部、捏造すんじゃねぇよ。誰もそんなこと言ってねぇぞ」 「似たようなもんやんけ」 服部がさきイカを銜える。堂に入ったおっさんの飲み方だ。 「じゃあ、いつ気づいたんだ?」 「お前が最初に自己紹介した時や」 「ええっ? 最初からじゃん!」 その後の会話を思い出して、快斗は赤くなった。確か、とんでもないことを言った気が する。キスしたいとか、セックスしたいとか。 「どうしてわかったんだ……」 「そんなん、お前が工藤の名前言う時の目見ればすぐわかるわ」 「え……」 恋人が和葉に言われたのと同じようなことを言われて、隣で新一も照れていた。 「じゃあ、一緒に住んでるっていうのは?」 「玄関見れば何人住んでんのかくらいわかるわ。車庫の手前に見慣れない自転車とバイ クも置いてあったしな」 「なるほど……」 さすが探偵、と感心していると、仲間はずれにされていた新一が、拗ねたように口を開 いた。 「つーか何でお前ら一緒にいたんだよ」 「それはな、俺が警視庁で用事済ませて歩いてたら、こいつが泣きながら突っ込んでき たんや。そういえば、黒羽何で泣いてたん?」 「う、それは……」 「お前が原因だよ……」 「俺? ……何や、そういうことかいな」 服部は納得したようだが、納得いかないのは新一の方だった。 「大体、服部泊めるの反対してたのはお前の方なのによ、なんでそんなに仲良くなって んだよ」 今だって、服部のグラスの中身が減ってきたらいそいそと酌をしてやっている。 快斗は女の子(特に新一の周りの)には優しく、気遣いもさすが紳士を自称するだけの ことはあるが、男(特に新一の(以下略)に対してここまで甲斐甲斐しいのは見たことが ない。 何となく面白くない新一に、快斗がその気持を察して苦笑した。 「服部はね、新一のこと理解して、支えてるんだなーってわかるから」 「はあ? 何だそれ」 「いいのいいの。今日は新ちゃんの愛をたっぷりともらったからね〜」 「……服部」 「何や、俺は何も言うてへんで」 その後夜中まで飲み続け、翌朝そのまま三人とも仲良くリビングの床に転がって寝てい るのを、訪ねてきた哀に見つかって叱られるまであと数時間。 平次と快斗は仲良くなれるんじゃないかなと。 快斗がちょっと泣き虫すぎましたかね。 2012/10/05 |