アメリカ編A
「……というわけで、来週の講義では20世紀に発展した米国のプロファイ
リングについて扱います。それまでに、参考文献に挙げたR・コクシス著
『行動科学的犯罪捜査』を読んでレポートを提出すること」
教授が言い終わるやいなや、見計らったように講義の終了を告げるベルが
鳴り、生徒たちがバタバタと講義室を出て行った。
「シンイチ」
少し離れたところに座っていた友人、ジェフリーが近寄ってきた。
「昼飯一緒にどう?」
「ああ」
「ソフィーたちとは図書館の前で待ち合わせしてるから。あ、シンイチは
ランチ持ってきてるんだっけ?」
「いや、今日はないんだ」
長い廊下を抜けて、棟の外に出る。
課題の話をしながら広場を横切ると、遠くにソフィーの姿が見えた。
「ソフィーと……スコットとレイチェルもいるな」
「目いいなぁ、シンイチ」
全然見えないよ、とジェフリーが目を細める。
三人にもっと近づいたところでソフィーがこちらに気づいて手を振ってき
た。
「カフェテリアでいい?」
「おー」
だが昼時で賑わうカフェテリアには長い列ができていた。
「じゃあ、ランチ持参組のレイチェルとシンイチが席取りね」
「あ、シンイチは今日は持ってきてないんだって」
「そうなの? 珍しいね」
レイチェルが驚いたように目を丸くする。
「いつもすごく綺麗なサンドイッチとか、えっと何だっけ、ベントウ?と
か持ってきてるのに」
「あ、ああ。今朝はちょっと時間なくて」
「寝坊かぁ?」
「まあ、そんなとこ」
「スコット! シンイチは私たちと違って寮じゃないから、通うの大変な
のよ」
「へいへい」
「つっても、車で十分の距離だけどな……」
ソフィーとスコットのやり取りに、新一は苦笑する。
実のところ、いつもは快斗が嬉々として新一の弁当を用意してくれている。
ところが今日は、今週末に控えた大きなショーの準備で明け方近くに帰宅
した快斗に遠慮したのだ。
味にしても健康面にしても碌なものを出さないアメリカの大学のカフェテ
リアで食事させることに快斗は渋っていたが、半ば強引にベッドに押し戻
して家を出てきた。
「じゃあ俺がレイチェルと席探しとく。スコット、俺にタコスとマカロニ
スープよろしく」
「オーケー」
ジェフリーが申し出たため、スコットとソフィーと新一で列に並んだ。
「……ジェフにとってはラッキーだったわね」
「まあな」
「え? 何の話?」
「もう、あんたはホント鈍ちんなんだから! ジェフがレイチェルのこと
好きって話よ!」
「えっ、そうなの?!」
驚くスコットに、ソフィーはやれやれと首を振った。
「あんなにわかりやすいのに」
「シンイチも気づいてたか?」
「ああ」
「うわー、マジかよ」
一人落ち込むスコット。
だが、ソフィーは困ったように眉を寄せた。
「でも、レイチェルはシンイチが好きなのよね……」
「えっ」
思わぬところで矛先を向けられて新一が目を瞠ると、ソフィーは新一以上
に目を見開いた。
「気づいてなかったの?! 結構あからさまじゃない、あの子。いつもラ
ンチ持参なのだって、席取りしてる間新一と二人になれるからなのよ?」
「へ、ぇ……」
「名探偵さんも自分に関することは鈍いのね……」
ソフィーが意外そうに言った。
その少し憐れむような目はやめてほしい。
ようやく三人の順番が回ってきた。
ソフィーが先にショーケースの中のチキンを注文し、それからパックのサ
ラダとベーグルを手に取った。
「タコスとマカロニスープと……俺は何にしよっかな……ピーナツバター
&ジェリーサンドと豆スープにしよう。シンイチは?」
「俺は……」
その時、突然後ろから両肩を掴まれた。
「え……」
唐突な接触に目を見開く。
振り返らなくてもわかる。この温かい手の持ち主を間違えるわけがない。
わからないのは、彼がここにいる理由だ。
「え、誰……?」
突然降って湧いたように現れた男に、ソフィーとスコットが驚く。
「快斗……?」
「しーんいち。お昼ご飯持ってきたよ。一緒に食べよ」
「えっ、そんなことのためにわざわざ?!」
「そんなことって、俺には大切なことだよ? それに、一度遊びにきたい
って言ったじゃん? 友達紹介してよ」
「お、おう」
新一の肩を抱くように腕を回してきた快斗に至近距離で甘い笑みを向けら
れて、思わず頬に熱が集まる。恋人のこういう、新一にしか向けられない
表情は何度見ても慣れない。
「あなた、この間の……」
思い出したように言ったソフィーに快斗はにこりと微笑みかけた。
「俺はカイト。よろしくお嬢さん」
「私はソフィーよ」
「スコットだ」
軽く挨拶をして、四人で列を離れる。
「ということで、俺もご一緒していいかな?」
「もちろん、大歓迎よ」
待っていたジェフリーとレイチェルのもとへ行くと、二人は見知らぬ顔が
増えているのに驚いた。
「カイトだ。シンイチの連れ」
「よろしく」
スコットが代わりに紹介してくれる。
「レイチェルよ」
「俺はジェフリー。気軽にジェフって呼んでくれ」
「ああ、君がジェフか。チョコレートケーキ、サンキューな」
「え? ああ、あれ、カイトと食べたのか。まあ、シンイチのノートをコ
ピーさせてもらえるなら安いもんだよ」
二人のやり取りを聞いていたソフィーは、小さく呟いた。
「じゃあやっぱりカイトがシンイチの……」
「? 何か言った?」
「ううん、何でもないわ」
「はい、新一の分」
快斗が弁当箱を新一の前に置き、もう一つを自分の前に置く。色違いの布
に包まれた二つの弁当箱を、ソフィーたちは興味深げに見つめた。
布を解くと、これまた色違いでおそろいの弁当箱が現れる。
「なあカイト、もしかしていつもシンイチのランチって……」
「俺が作ってるんだ」
快斗が頷いて答えると、今度はレイチェルがおそるおそる尋ねる。
「カイトって、新一とどういう関係なの?」
「一緒に住んでるんだ」
「似てるけど兄弟?」
「いや? 全然」
「じゃあ彼氏?」
「うーん。もっと深いね」
「え、もしかして旦那とか?」
「嘘っ、シンイチ結婚してたのかよ?!」
一気に場が湧く。口を挟む間もなかった新一は赤面して、いたたまれずに
俯いた。
その様子に快斗が苦笑する。
「正解はフィアンセ」
ぽんぽん、と優しく新一の頭を撫でる。
新一はさらに赤面して顔を上げられなくなってしまい、そんな新一を初め
て見る四人は驚愕に固まった。
「……じゃあ、あの噂って本当だったんだ……」
「噂?」
傷ついたように呟いたレイチェルに快斗が問い返すと、代わりにソフィー
が答えた。
「新一が婚約者を追ってアメリカに来たっていう噂よ。根も葉もないデタ
ラメだと思ってたけど……」
ソフィーがちらりと新一を見る。
「その様子だと、あながち的外れでもないのかしら」
やっと驚愕から立ち直った男性陣が騒ぎ始めた。
「マジか! 婚約者だって!」
「うわー、どうも女の気配がないと思ったらそういうことかよ」
「大学の女どもが泣くぜ」
「いつ結婚すんだよー? 式呼べよ?」
はしゃぐ友人たちを宥めているうちに、短い昼休みは過ぎていった。
「ところでカイト」
次の講義に向かったレイチェル、ジェフ、スコットの三人と別れて、新一
とソフィーもそれぞれ次の講義に向かった。
新一が向かっている心理学部棟とソフィーが目指す法学部棟は同じ方向に
あり、この後も新一と一緒に講義を聴講すると言ってついてきている快斗
も含めて三人で並んで石畳を歩く。
「私、あなたのことどこかで見たことあるような気がするんだけど……」
どこだったかしら、とソフィーが目を上に巡らす。
唸って考え込む姿に、快斗はくすくすと笑った。
「お嬢さん」
「え? わっ」
目の前にすっと出された掌が返された瞬間、ブーケが現れた。淡いオレン
ジ色の花々が可愛らしい。
「いつも新一がお世話になってるみたいだから」
「あっ、ありがとう」
新一が相変わらず気障な奴、と呆れたようにぼそっと呟く。
「今の、マジックよね? カイトって、もしかして……」
「俺の名前はカイト・クロバ。新一専属の魔法使いだよ」
そう言ってウィンクした快斗に、ソフィーが満面の笑みで新一を見た。目
が輝いている。
「シンイチの婚約者って、あの天才マジシャン、カイト・クロバだったの
ね! きゃあっ、私、カイト・クロバから花束もらっちゃった!」
興奮気味に小さく叫ぶと、ソフィーは手を振りながら法学部棟の方へと走
り去っていった。
「……ったく、来るなら言えよ。驚いただろ」
唇を尖らせた新一の頬に、快斗は宥めるようにちょんとキスを落とした。
「ごめんね、びっくりさせたくて。迷惑だった?」
「そんなわけねーだろ。オメーが俺のためにしてくれることで、迷惑なん
て、あるわけねぇ」
目を逸らしながら言った新一の頬は紅潮していて、快斗は今すぐ抱きしめ
たいのを堪えて背中に手を添えた。
「さ、教室行こう。遅れちゃう」
口元が緩むのはどうしようもなかったが。
それから時折、キャンパス内で新一の隣で一緒にランチを食べたり講義を
聴講したりする快斗の姿が目撃されるようになり、ゴシップ好きな学生た
ちの間では、婚約者を追ってきた説が有力になっていくのだった。
再掲:2013/08/10
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