映画が始まって一時間くらい経っただろうか。 ウィスキーの瓶の中身は三分の一ほどに減っているが、元々酒に結構 強い新一はまだ意識もはっきりしている。 白馬の説明では、そろそろ薬が効いてきてもいい頃だ。服用から一時 間から一時間半の間に、効果が出始める。 ちらりと快斗の様子を窺うが、まだ変化はない。映画に集中していて、 酒のペースも変わらない。 新一は次の展開を想像して、さっきまでとは別の緊張がじわじわ湧い てくるのを感じた。 快斗はどんなふうに化けるだろう。 紅潮した頬、薄っすらと滲み出る汗、じんわりと熱を持った肌……。 新一は妄想の世界に沈んだ。 熱に浮かされ、恥ずかしげに伏せられる濡れた瞳、刺激に粟立った肌、 熱い吐息を漏らす赤いくちび―― 「………あ?」 唐突に、新一は妄想の世界から強引に引き戻された。 ……呼気が荒い。 快斗のではない。新一の、だ。 いくら何でも妄想に興奮して、ということはない。 自分でコントロールできないほどに、呼吸が荒い。というか、胸が苦 しい。 加えて、何だか全身が熱い。頭がぼうっとしてきて、身体に力が入ら ない。 「な……え……? あ、れ……?」 その時、快斗が徐にリモコンをDVDデッキに向け、停止ボタンを押 した。 「くろ――」 「なあ、名探偵」 その平坦な呼びかけに、新一はびくりと震えた。 黒羽快斗にその呼称で呼ばれるのは初めてだ。 「これ、どゆこと?」 ゆっくりと新一を振り返った快斗は唇に微かな笑みを浮かべていたが、 目は少しも笑っていない。それどころかひやりと冷たい殺気すら潜ま せていた。 「くろ、ば……」 初めて快斗に向けられる殺気に、新一は固まって何も言えなかった。 いや、固まっていなかったとしても、何と言い訳すればいいかなんて わかるはずがない。 新一の頭の中にはただ、バレたという衝撃と、嫌われたという絶望が 渦巻いていた。 「お前がつまみ作ってる間にグラスを交換させてもらったぜ」 「な、んで……」 「何でバレたかって? ハッ、なめてんの?」 なめているわけない。あの怪盗キッドに盛ろうというのだ。そのため に、無味無臭の薬にこだわったのだから。 快斗は鞄から音楽プレーヤーのようなものを取り出した。 新一ははっとした。 あれは盗聴器の受信機……! まさか自分に仕掛けられていたのか。 気づかないとは鈍ったか、と顔を顰めた新一に、快斗は薄ら笑いを浮 かべて言った。 「お前だと気づかれるから、白馬に仕掛けたんだよ。何か最近二人で こそこそしてるから、ちょっと探るつもりだったんだけど……」 快斗は笑みを消した。 「何? そーゆー薬? 俺に盛ってどうするつもりだったわけ?」 「ご、め……」 「俺を犯そうとでも思ってた? 最低だな」 吐き捨てた快斗の目にはっきりとした軽蔑が見てとれて、胸のあたり が凍ったように冷たくなるのを感じた。 身体は熱いのに変な話だ。 「っていうか名探偵って男もイケたんだ?」 嘲笑を受けながら、心はどんどん寒くなっていくのに身体の熱は冷め るどころかどんどん上がっていく。薬の催淫効果が強制的に興奮させ ているのだ。 何とかして謝らなければと思う一方で、とにかくイきたいという欲求 が膨らんでくる。 朦朧とし始めた意識の中で、新一は自身の下半身に手を伸ばすのを止 められなかった。 「ちょ、おいおい……」 快斗の呆れた声が聞こえる。 だが、一度動き出した手はもう止められない。 「んっ、く……」 「あーあ。一人で遊び始めちゃったよ」 「ふ、んぅ……」 「……じゃ、俺は帰るわ。もう二度と話しかけんなよ」 「んんっ、ぁっ……くろ、ばぁ」 「…………」 背を向けた快斗が、リビングの扉に手をかけた状態で立ち止まった。 「っ……ぁ……」 「…………」 「くろ、ば……んっ……ごめ……」 「…………」 「す……きだ……ごめ、ん………す、き……」 いきなり身体に影が落ちて、新一が顔を上げると、快斗が覆いかぶさ るようにソファに両手をついていた。 見たことがないような眉を寄せた切羽詰まった顔で、快斗は押し殺す ように言った。 「お前のせいだからな」 「え……?」 次の快斗の行動に、新一は目を瞠った。 新一が手を突っ込んでいたズボンを下着ごと下ろし、自身を握ってい た新一の手の上から手を添えて、動かし始めた。的確に射精を促す動 きだ。 「ぅんん?! や、え……あっ、んんっ」 無言で手を動かす快斗にあっという間追い詰められて、新一は射精し た。 荒い呼吸を繰り返して落ち着こうとする新一を、快斗が見下ろす。 「えっろ……こんなんで俺を抱こうとしてたとか……」 だってお前が可愛いのがいけないんだ、と心の中で反論するが、つい と視線を上げて、新一は息を呑んだ。 ぎらぎらと肉食獣のような目。 気を抜いたら食われてしまいそうだ。 誰だ、こいつを可愛いなんて言ったのは。 呆然と見上げる新一の片脚を、快斗はぐいと上げた。そこで初めて、 新一は快斗の意図に気づいて慌てた。 男同士のやり方は散々勉強して知っている。だが、自分が下になるな んて予定外だ。 「ちょっ、ちょっと待て! ストップ!」 「……何だよ」 「お、俺が下、なのか……?」 「あたりめーだろ」 「いっ、嫌だ! やめてくれ、黒羽、俺が悪かった! もうしねぇか ら!!」 すると快斗はさらに顔を歪めた。 「今更何言ってんだよ。お前が煽ったんだからお前が責任取って一発 やらせろ」 いつの間にか両手首を一まとめに掴まれ、ソファに押し付けられてい た。 「やだっ……黒羽っ、こわい……!」 「…………」 答えない快斗に、新一の目から涙が零れた。 自分でも恐怖なのか悲しみなのか、よくわからない。 それでも快斗の指は遠慮なく新一の尻に伸ばされ、穴の中に突き入れ られた。 「っ……」 新一の精液を使ったのか、ぬめりに助けられてそれほどの痛みはない。 だが、恐怖は少しも引かなかった。 「ぅ……」 中を掻き乱されるような異物感と、薬のせいでじわじわと迫りくる快 楽に目をぎゅっと瞑る。 「う、ふ……」 目尻から零れ落ちた涙をすくうように何かが目元に触れて、新一は薄 く目を開けた。 ぼやけるほどすぐに近くに快斗の顔があって、それが快斗の唇だった ということに気づいてうろたえた。 「ぁあっ」 その時、新一の脊髄に電流が流れた。 身体を大きく跳ねさせた新一に驚いて、快斗の指が抜けた。 前立腺に掠ったのだと、新一は理解した。 知識はあったが、まさかその未知の感覚を自分が体験することになる とは思いもしなかった。 今度は尻に指よりも熱く大きなものが宛がわれて、新一はふるふると 首を振った。 だが快斗は無視して腰を推し進めてきた。 「ぅんっ……ぁっ」 「……俺の気持ちが少しはわかったかよ」 耳元で囁くように落とされる。深い悲しみを帯びたその声に、新一は はっとして目を開いた。 「裏切られたような気持ちだった……」 唐突に理解した。この行為は、新一を傷つけるためのものなのだ。 だが、同時に同じだけ、いやそれ以上に快斗自身を傷つける。 傷つけ傷つけられるための行為。 「いいライバル……いや、最高のライバルだと思ってた……なのに、 お前はそう思ってなかったのかよ……?」 それは問いというよりは独り言のようで、今何を言っても快斗を納得 させられる気がしなかった。 代わりに新一は、緩んだ拘束から手をすり抜けさせて、快斗の頭を抱 えこむように腕を回した。 快斗は無言で動きを再開した。 「ぁ……は、ぁっ……んんっ、あっ、ああ!」 敏感になった身体は、たった数回の前立腺への刺激で果てた。 だが当然のように快斗は止まる気配を見せない。 「あぁっ、く……や、ぁ……んぅ」 快楽を逃がすように身を捩ると、一層動きが激しくなった。 まるで快斗が、新一を逃がさないようにしているようでおかしい。 ここまで来てもう逃げるわけないのに。 新一の両腕は快斗の頭にしっかり回っているのだ。 「あ、あっ、んぁっ……ぁああ!」 新一が三度目の射精をすると同時に、快斗の熱いものに浸食されるの を感じた。 *** ゆっくりとした歩調で中央食堂の階段を下りていくと、端の方のテー ブルに白馬の姿を捉えた。 あと数メートルのところで、白馬が気がついて軽く手を上げた。 「よう」 「やあ。……何も食べないのかい?」 新一がそのまま向かいに座るのを見て、白馬が尋ねる。 「ああ……これから黒羽と待ち合わせしてるんだ」 その前に、白馬に会いたかった。と、いうか、色々と報告する義務が あるだろう。 「ということは……上手くいったのかい?」 「上手く、っつーか……」 新一は微妙な表情を浮かべた。 「色々と、まあ、想定外のことになったな、うん」 「……その様子だと、彼を抱くことはできなかったみたいだね」 「ぅえ?!」 ニュアンスと、新一の腰あたりに向けられた視線とで、白馬がかなり 正確な事の顛末を察していることに気づく。 「え、いや、何で……」 「まあ僕にとっては想定内、かな」 恥ずかしさやら情けなさやらで、新一は赤くなった。何食わぬ顔でカ ツ丼を食べる白馬の前で、テーブルに突っ伏す。 「それで、君たちはつき合ってるという認識でいいのかな?」 「あー……つき合ってる、っていうわけじゃねぇ、のかな……? 今 日も飯には誘われたけど、それは別に今までと変わんねぇし」 「へぇ……」 白馬は何か思案するように視線を流した。 その時、突然背中に重みを感じて、新一は顔を上げた。 「やあ、黒羽君」 白馬はいつも通りの爽やかな笑みで挨拶する。快斗に盛ろうとした薬 を調達した張本人だというのに、このしれっとした態度は流石、快斗 とそれなりに長く友人をやっているだけのことはある。 「黒羽っ、どうしてここに……待ち合わせは正門前だったろ?」 伸しかかられて顔は見えないが、雰囲気からして機嫌が悪いのはわか った。 「白馬、てめぇ、余計なこと言うんじゃねぇよ」 「余計なこと? 僕はただ友人の相談に乗っているだけだよ」 快斗のドスのきいた声にも、白馬は表情を変えない。 快斗は舌打ちをして、新一の腕を掴んで立たせた。 「さっさと行くぞ」 「えっ、え?」 ぐいぐい引っ張られて、慌てて白馬を振り返ると、にこやかに手を振 られる。 「ちょ、黒羽!」 新一が抗議すると、少し歩調がゆるんだ。快斗がぼそりと呟く。 「……あんま白馬ばっか頼ってんじゃねーよ」 「え? それどういう……」 「俺のことが好きなら俺だけちゃんと見てろ」 その時後ろから見えた快斗の耳が赤いような気がして、伝染したよう に新一の頬も一気に紅潮した。 その後、構内を出るまで無言で顔を赤らめた二人の姿が目撃された。
遅刻しました… 何だか快斗が偽物…… でも快斗誕生日おめでとう! 2013/06/24 |