それは、年明け最初の事件を解決して、さあ帰ろうかという時のこと
だった。



「高木刑事。重そうですね、手伝います」

捜査に使用した資料を両腕いっぱいに抱える高木に、新一は声をかけ
た。中には自分が見たものもあるし、何より高木の目元の隈と足元の
ふらつきを見かねたのだ。

「えっ、いいよいいよ、そんな。工藤君に手伝わせたなんて知られた
ら……」

一課のアイドルと化している新一に資料運びをさせるなんてとんでも
ない、自分の身が危なくなる、と慌てた高木だったが、さっさと上の
半分取りあげてしまった新一に、何も言えなくなる。

「第二資料室でいいんですよね?」
「うん……ありがとう」

幸い年明けの警視庁は忙しなく、二人を見咎める者はいなかった。
無事に資料室に着いて、高木はほっと胸を撫でおろす。

膨大な資料を二人で手分けして棚に戻していく。

「えーと、これはあっちか……」

一つのファイルを持って、新一は離れた棚に向かう。その時、中央の
デスクの上に出しっぱなしのファイルを見つけて、足を止めた。

表に記されているのはちょうど六年前の日付だ。

六年前の一月六日。
何となく記憶に引っかかる気がして、新一はファイルに手を伸ばした。

「爆弾……松田陣平。そうか、あの爆弾事件の……」

それは新一自身が三年前、江戸川コナンとして関わった爆弾事件と同
一犯による事件のファイルだった。
その時、松田という元爆発物処理班の刑事が殉職した経緯を、由美か
ら聞いていた。

警備部機動隊から強行犯係に転属してきたばかりで、職場に馴染まず
やる気のない男。荒っぽくてがさつで自分勝手。
由美の話でどこまで脚色されているかはわからないが、佐藤が手を焼
くほどだ。相当な問題児だったのだろう。

そんな男が、唯一自ら動いた事件。
やっと尻尾を見せた獲物に、彼の目はサングラスの奥で獰猛に煌めい
ただろうか。

由美の話では、爆弾魔は彼の親友を奪った仇だったという。今から十
年前の爆弾事件だ。

「親友……」

新一は何かに衝き動かされるように十年前の資料棚を探した。
資料を指で辿り、十年前の一月六日の日付を見つける。さっと抜き取
り開いた。

しかけられた二つの爆弾、交渉の末止められた爆弾のタイマー、犯人
からの連絡、逃走の末の事故死、そして再び動き出した爆弾のカウン
トダウン。
数名の殉職者の名前が綴られたページに、新一は指を這わせた。

「萩原、研二……」

資料を見れば、松田たち処理班が爆弾のしかけられたマンションの下
に到着した直後に、爆弾が爆発したことがわかる。松田は爆発の直前
まで萩原と電話していたようだ。

親友の死を目の前で見た松田。

最後に交わした言葉は一体何だったのだろう。
親友同士のいつもの軽口?
防護スーツを着ていないことへの説教?
ひと仕事終えた後の約束?

焦ったような声、返らない返事、爆発と炎と黒い煙、非情な通話終了
のビープ音。

そして四年間、松田は仇討ちを誓って生きてきた。返事のこないメー
ルを送り続けながら。


――勇敢なる警察官よ……


悪魔の囁きが蘇る。この不気味なメッセージを、松田はどんな気持ち
で目にしたのだろうか。
多くの人の命と引き換えに、自分の命と、親友への誓いを諦めた。

自分の手で仇をとれないことを悔しがっただろうか。
それとも、やっと親友と同じ場所にいけることに、安堵しただろうか。


「工藤君……?」

新一を探す高木の声に、棚の陰から顔を覗かせる。

「ああ、そこにいたんだ」

高木がやってきて、新一の手にあるファイルに気づいた。

「この事件……」

高木は痛ましそうに眉を顰め、それからふっと力を抜いた。

「そうか、あれからもう三年になるんだね」
「高木刑事も関わったんですよね。最初の爆弾がしかけられた東都タ
ワーのエレベーターに閉じ込められた」
「よく知ってるね」
「コナンから聞きました」
「ああそうか、コナン君から」

高木は懐かしそうに目を細めた。

「僕には、松田刑事みたいに爆弾解除の技術はないし、一人ではそも
そも暗号を解いていち早く現場に駆けつけることすらできなかっただ
ろう。そうしたら、僕は美和子さんを過去から解放してあげることが
できなかった。……僕も美和子さんも、コナン君に救われたんだ」

新一は無言でファイルに目を落とした。

松田刑事の無念も晴らしてくれたしね、と高木が言う。
穏やかな微笑みを浮かべる高木に、新一は三年の月日の流れを感じた。

来月、高木と佐藤は結婚する。もちろん、新一も式に招待されている。

「あの時……爆発三秒前をコナン君と二人で待っていた時なんだけど」

高木が言葉を選ぶようにぎこちなく口を開いた。
新一は、その後に続く言葉を予想することができた。

「僕、コナン君につい聞いてしまったんだ。『君は一体何者なんだい』
って」
「…………」
「コナン君にははぐらかされちゃったけど……工藤君は、知ってるの
かい? コナン君の、正体を」

つくづく正直な人だ、と新一は内心くすりと笑った。新一を探るよう
に、けれど真摯に、見つめてくる。

新一はゆるりと淡い笑みを浮かべた。

「……さあ?」

新一の表情に何かを察したのか、高木はいつの間にか詰めていた息を
吐き出した。

「ごめんね、何か変なこと聞いちゃって」
「いえ。……ところで、佐藤刑事は、今日は……」
「ああ。観覧車に乗りに行ってるんじゃないかな」
「高木刑事は、よかったんですか?」
「あー……事件のせいで、休みが取れなくて……」

松田刑事に結婚の報告をしようと思ったのに、と項垂れる高木に苦笑
する。

「まだ間に合うんじゃないですか?」

日はまだ落ちていない。

「でも……」

片付け終わっていない資料の山へ目をやって高木が眉尻を落とす。

「いいですよ、ここは僕が引き受けますから」
「いや! それはできないよ」
「いいからいいから。早く行かないと本当に日が暮れちゃいます」

新一は高木の背をぐいぐい押して、少し強引に資料室を追い出した。

「工藤君っ」
「こんな日に、佐藤さんを一人にしないであげてください」
「!」

今日は、佐藤が大切な仲間を目の前で失った日であり、大切な人を失
いかけた日なのだ。
たとえ事件が解決しても、その恐怖と絶望に刻まれた傷が治るわけで
はない。これから先ずっと、少しずつ思い出に昇華しながら、彼女が
抱えていかなければならないものだ。だが、それを一人で抱えさせて
はいけない。

「工藤君……ありがとう」

高木は情けない顔に笑みを浮かべて、走り去った。

その背を見送って、新一は資料室の扉を閉めた。


一人になって、片付けを再開する。


「…………」

結局出しっぱなしになっていた六年前の爆弾事件のファイルの縁をな
ぞるように、指を滑らせた。

「……コナンに救われた、か……」

この身体はとっくに死臭を纏わりつかせているものだと思っていたけ
れど、こうして「救われた」と感謝の言葉を向けられると、少し光が
見えてくる。
自分のしてきたことは無意味ではないのだ。

真っ直ぐな謝意は身体の真ん中に突き刺さって少し痛いけれど、その
痛みが新一の足をまた前に動かす。


高木の言葉に、新一の脳裏には一瞬で、風の強い夜の屋上の景色が蘇
った。
今はもう脱いだ真っ白な衣装を風に煽られながら、照れくさそうな笑
顔と共に告げられた一言。


――俺は、お前に救われたんだよ、名探偵。


彼のその言葉を思い出すたび、新一は眩しいものを見るかのように少
し目を細めて、心の中でゆるりと頭を振るのだ。

(いや――救われたのは俺の方だ)


誰かを救いながら、誰かに救われながら、自分は前を向ける。

松田はどうだったろうか、と考える。

佐藤と組んで、救われただろうか。
それとも、親友と同じ爆弾で死ぬことが、あるいは彼にとっての一種
の救いだったのだろうか。

死んでしまった人間を救うことなんてできないけれど、せめてその分、
高木と佐藤が幸せになれるといいと祈りながら、新一はファイルを戸
棚の隙間にしまった。






























以前、再放送していた時に書いたもの。

時期外れですが……




2013/08/02